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アメリカ
テクノストレスは人間の力の限界に対する認識がうすれさせた
ジル・A・フレイザー著『窒息するオフィス 仕事に脅迫されるアメリカ人』
(岩波書店 2003年刊)
ホワイトカラーが、仕事からくるストレスについて愚痴をこぼすのは当然である。
彼らがオフィスの外でボイスメールとEメールを頻繁にチェックする理由を見つけるのは、そ
れほど難しいことではない。彼らは、ただメッセージの山に埋もれないようにしているだけなの
である。流れ作業にたとえることはまったく的を射ているように思われる。社内の連絡通信でレ
スを――かつてないほど迅速に――かえすことに対する社員のプレッシャーが増すと同時に、仕
事のペースも加速化してきた。1つには、即時の対応を迫られる内容のメッセージを受け取るこ
とがますます増えているからである。
臨床心理学者のクレイグ・プロッドは、1984年に「テクノストレス」という用語を作り出
し、人びとが職場などで新しいテクノロジーに適応する姿を観察して、その様子を記した。「事
務職同様、管理職にととっても、テクノストレスをかたちづくっている主な要素は、時間の感覚
の歪みである。時間が圧縮・加速化されるにつれて、何日、何時間、何分といった単位の持つ意
味が変わってくる。人間の力の限界に対する認識がうすれてくるのである」。彼らによれば、多
くの結果から、人びとが「かつてないほど躍起になって、コンピュータの効率性と勤勉さに適応
しようとしている」様子が浮き彫りになったという。
……
自分たちの仕事が、さまざまなテクノロジー関連のリエンジニアリングによる影響を受けやす
い多くのホワイトカラーにとって、こうした変化による衝撃は深刻なものになりかねない。社員
はたえずスキルを更新していかなければならず、会社はたえず生産性を見張り、高める新しい方
法を探っていかなければならないが、それと同時に、仕事そのものは、より単調で決まりきった
ものになり、ますますストレスの多いものになっていく。
M&Aの10年が過ぎていくにつれて、経済実績は揺らぎはじめ、とくに987年の株式市場
の崩壊後はそれが顕著になった。タイ企業では次から次へと人員が急速に減りはじめ、70年代
後半の不況時よりももっと深刻な様相を呈した長期失業の不安を生み出しつつあった。この時期
にレイオフを経験した人びとの15%は、6か月以上のあいだ失業したままとなった。
業種によって起こった時期は異なったが、一定段階をすぎると、ホワイトカラーの社員たちは
男女を問わず職場環境の悪化を受け入れた。というのは、彼らの会社への愛着からではなく、他
の道を選択する余地がほとんどないことがわかっていたからである。ベンとフレッドの物語が示
すように、職場の変化は、短期間の犠牲ではなく、むしろ不愉快な新しい生活様式なのだという
ことが最終的に明らかになってくると、積極的で献身的であった社員でさえ、1980年代の職
場の変化に苦い思いを味わうこととなった。
彼らの精神的変化は、自信喪失の増大、会社不信、意気阻喪、あるいは疲労困憊などいろいろ
あるにしても、しばしばまったく劇的であった。しかし、この後ろ向きの感情は、この10年間
にキャリアの上昇が阻まれた、あるいはそれが止まった人びとに限られたものではなかった。ジ
ェフリーがよい例である。彼は、ウォール街の調査分析の専門家で、1980年代の大半をドレ
クセル・パーナム・ランベールの投資会社で過ごし、のちにはゴールドマン・サックス社を含め
ていくつかの会社の管理職の地位についた。
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