いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター(IMC)




















  『本』の中のメンタルヘルス  海外




    ドイツ
    ナチスによる精神病患者の虐殺
      北杜夫著 『夜と霧の隅で』

    精神科医でもある北杜夫が芥川賞を受賞した『夜と霧の隅で』は、第二次世界大戦末期のドイツ
   ・ミュンヘン近くの精神病院を舞台にし、私たちが忘れてはならない問題を取り上げています。

    ナチスがいち早く『遺伝病子孫防止法』をだしたのは1933年7月のことで、ユダヤ人排斥を
   主眼とする『国民血統保護法』、さらに『婚姻保護法』が制定されたのは1935年になってのこ
   とである。……ドイツでは最初の1年間におよそ5万6千人余の患者が断種の手術を受けた。

    そして「民族と戦闘に益のない人間」が虐殺されていきました。
    1939年末、最初の精神病患者の安楽術が行われた。しかしこれは、その国内国外への影響、
   主として教会からの非難があまりに大きかったため、ひとまず中止されはした。
    しかし1941年、ベルリンのヒトラー官房に於いて1つの会議が開かれた。……安楽術は従来
   とは異なった形で、外部に絶対洩れぬようにして続行された。

    ドイツの敗戦を疑わない1人の医者はソ連との戦闘に徴兵された経験をもっています。そのとき
   にいっしょだった友人は1943年ミュンヘン大学の『白バラは散らず』で散ります。『白バラ』
   たちは人権的、個人的な自由を最高の価値ととらえ、ナチスを最悪の敵とみなしてビラをまきまし
   た。
    彼は友人がまいたビラを隠し持って何度も読みかえします。

    何よりも文化民族にとってふさわしからぬことは、抵抗することもなく、無責任にして盲目的衝
   動に駆りたてられた専制の徒に統治を委ねることである。

    この病院にも命令が下ります。消極的な抵抗しかできない医者たちの苦闘が展開されます。
    安楽術に送らないため、患者に治療の可能性があるといわれていたさまざまな治療方法がほどこ
   されます。電気ショック、インシュリン、ロボトミーなど。
    ドイツは第一次世界大戦で多くの人口を失ったため、その後数10年間徴兵できる対象も減って
   いました。第一次世界大戦のつけが第二次世界大戦にまわされ、労力を極力節約する必要が生じま
   した。その節約額は膨大な数字が計算されています。精神病患者の安楽術はベットや看護員などを
   戦争目的に転用できるという理由もありました。

    第二次世界大戦までドイツを含め各国の精神医学会は、自分たちの使命を「軍隊と祖国に仕える
   こと」とし、「個々の事例からではなく、密接に結びついた軍隊の利益から決定されなければなら
   ない」(ハーブ・カチンス スチュワート・A・カーク著『精神疾患はつくられる DSM診断の
   罠』)ということを基準に行動したのでした。


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