いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター(IMC)




















  『本』 の中のメンタルヘルス 軍隊・戦争


   急いで逃げるんだ!

            なかにし礼


   (略)

  戦争の恐怖をしらない人たちよ
  ぼんやりしていてはいけない
  それはすぐそこまできている

  だからみんな
  さあ逃げるんだ!
  急いで逃げるんだ!

  どこへ
  決まっているじゃないか
  平和の中へさ
  平和を護る意思の中へ

  さあ逃げるんだ
  急いで逃げるんだ
  平和を堅持する行動の中へ

  平和とは戦争をしないことだという
  あたりまえのことを高らかに歌おう

  平和こそ僕らの聖域(アジール)であり
  抵抗の拠点なのだから


   (『平和の申し子たちへ!
     泣きながら抵抗を始めよう』より)

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軍 隊 の 惨 事 ス ト レ ス 対 策




































    「帰還兵のトラウマ治療を担当」
      小児精神科医、ハーバード大学准教授 内田舞著
      『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)
    妻に打ち明けた後もAさんの罪悪感とPTSDの症状は続きました。加えて、「あなたの
   せいではない」とさらっと言い切る妻に関しては、「戦争でのトラウマの体験は今の自分に
   も影響を及ぼし続けている。その苦しみを妻が理解することはできない」とAさんはがっか
   りする様子を見せました。
    Aさんは繰り返し、「誰もが『兵隊本人のせいじゃない』と言うが、実際兵士がどんな思
   いかは理解していないんだ。頭では分かっていても、俺らは『俺らのせいじゃない』なんて
   微塵も感じないんだ」と訴えました。「論理的には自分のせいではないとわかっていながら、
   罪悪感から解放されることはない」というAさんの体験がいかに複雑で、自身でさえも自分
   の思いを整理することがいかに難しいかということを話し合いました。
     <続きを読む>



    「戦争がつくった道徳的負傷(モラルインジャリー)を
      克服するために」
      トム・ヴォス著『帰還兵の戦争が終わるとき』
      アメリカ大陸2700マイル』(草思社 2021年
    軍人になる、軍隊に入るとはとはどういうことか。
   「軍人になるとは、自分の行動はもちろん、みんなの行動に責任を持つことだ。他者も罰の
   重荷を、自分のものとして負うことだ。苦しみを分かち合い、その苦しみという絆によって
   他者とつながることだ。
    軍隊に入るとは・・・自我を完全に放棄すること。自分の欲求と要求を手放し、れ変わり、
   全体の意思に屈すること。・・・そして巨大な集団に属する単細胞生物として生ま何も考え
   ずに他者を支援し、何の御門持たずに行動し、命をかけて自分より大きな集団を守るのだ。
    そのような『暗黙の協定』が戦闘経験者と一般市民の間にあると無意識に思い込るが、兵
   ませられ確信していました。
     ≪活動報告≫ 21.9.3



    道徳も法体系も存在しない空間では人は人でなくなる
      ゼンケ・ナイツェル、ハラルト・ヴェルツァー著 小野寺拓也訳
      『兵士というもの ドイツ兵捕虜盗聴記録に見る戦争の心理』
      みすず書房 2018年4月
   「第二次世界大戦下に、ドイツ軍将校は何を考えていたか。ナチス指導部の分析は進んでい
   るが、兵士の心理については充分に検証されているとはいえない。本書はその不透明な部分
   にメスを入れた貴重な書である。ごく平凡で真面目な庶民が軍服に身を包み、殺害に慣れて
   変身していく様は不気味である。残虐な行為が罰せられないとなると、つまり道徳も法体系
   も存在しない空間では人は人でなくなる、ということも教えてくれる。・・・
    アメリカもイギリスも、ドイツ兵士の捕虜収容所に密かに隠しマイクをいれて、その私的
   な会話を盗聴していた。」(評・保坂正康 ノンフィクション作家)
     「書評『兵士というもの 』」



    兵士の健康診断は健康状態を診るものではなく
       人数合わせ・体制維持をするために逆算
      吉田 裕著「日本軍兵士 ―アジア・太平洋戦争の現実」
      中央公論新社 17.12
   「当時の陣地内は、誰彼なしに、精神心理的に異常に興奮した状態にあって、些細なことに
   もいらだった。そして、兵のなかには、精神に異常の徴候を現わすものがではじめた。戦況
   が悲観的になるにつれて、突然に発狂した。被害強迫妄想、幻視幻聴、錯視錯聴、注意の鈍
   麻、錯乱、支離滅裂、尖鋭な恐怖、極度の不安、空想、憂愁、多弁、多食、拒食、自傷、大
   声で歌い回るもの、踊り回るもの、なにもかも拒絶するものなど、叡智、感情、意志の障害
   があらわれた。すなわち、極限における人の姿であり、超極度の栄養失調にともなう急性痴
   呆症の姿であった。(柳沢玄一郎著『軍医戦記 生と死のニューギニア戦』)」
     ≪活動報告≫ 22.6.3
     ≪活動報告≫ 18.5.29
     ≪活動報告≫ 18.5.25



    アメリカ
    ブッシュ大統領呼には兵士たちには見えないものが見え、
       兵士たちに見えるものが見えなかった
      デイヴィッド・フィンケル (著), 古屋 美登里 (翻訳) 『兵士は戦場で何を見たのか』
      亜紀書房 2016年刊

    2003年から2010年まで、8年に及ぶイラク戦争で死亡した兵士の数は、イラク治
   安部隊を含めた連合軍側もイラク側も、それぞれ2万数千人に及ぶ。負傷者はおよそ11万
   人である。そしてアメリカ兵士の死傷者数がもっとも多かった年が、増派によって駐留する
   アメリカ兵の数が増えた2007年だった。
    2007年7月のバグダット東部です。

    戦闘開始から1478日目にあたるこの日(200年4月6日)には、死亡した兵士の総
   数は3000人を超え、負傷した兵士は2万5000人にせまり、アメリカ市民が当初抱い
   ていた楽観的な見方が消えてからだいぶ経ち、開戦へと導いた誤算と歪曲が詳細に暴かれ、
   開戦以来ずっと戦争を推進してきた政治的失態も露わになっていた。
     <続きを読む>
     ≪活動報告≫ 16.7.5



    アメリカ
    1年後、ホゼ・レイは三度目に戻ったイラクで、自分の頭を撃ち抜いた
     フィル・クレイ(著) 小説『一時帰還』 岩波書店 2015年刊

    12編の短編が収められています。軍や隊、兵士の戦闘場面や手柄を取り上げたものでは
   ありません。兵士の心情を描いていますが兵士の心情を一般化したものではありません。
    作者自身が海兵隊員としてイラク戦争に派兵されました。その体験とたくさんの兵士に取
   材した1人ひとりの兵士の心情をそのまま描いています。
     <続きを読む>
     ≪活動報告≫

    アメリカ
    イラクとアフガニスタンの戦争が生み出したのは
       50万人の精神的な障害を負った元兵士
      デイヴィッド・フィンケル (著), 古屋 美登里 (翻訳)『帰還兵はなぜ自殺するのか』
      亜紀書房 2015年刊

   「『帰還兵はなぜ自殺するのか』(亜紀書房)の推薦文を書きました。
    イラクに派兵された若い兵士たちの帰郷後の「壊れ方」についての怖いほど細密なレポートで
   す。
    アメリカの男たちはこの100年戦争に行っては「壊れて」戻ってくるということを繰り返し
   てきました。
    戦争に大義があるうちはまだ保ったけれど、ベトナム、アフガニスタン、イラクと戦いに大義
   が失われるにつれて、兵士たちの「壊れ方」は救いのないものになっているようです。……
    『帰還兵はなぜ自殺するのか』を読む限り、アメリカは何も学習しなかったようです。」
       (内田樹氏の推薦文より抜粋)
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     ≪活動報告≫ 15.5.19


    韓国
    『虐殺などしていないと反発する人は戦闘の実際の経験がない人が多い』
      伊藤正子著『戦争記憶の政治学 韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題と和解への道』
      (平凡社 2013年10月刊)

   「徴兵されて軍隊に入ったのは1965年5月。翌1966年0月にベトナムに派遣され、約5
   カ月後の1967年に帰国した。……
    駐屯したのはチャビンドンという村だった。『民間人に対して不要な殺傷をしてはいけない』
   と教えられたことは一度もなかった。戦場では動くもの全てが敵に見える、それで動くものに向
   かって銃を撃つことになる。自分の安全のためにはそうなってしまう。戦闘に従事するうち、戦
   友を殺されて復讐に燃え、人を殺すことにどんどん無感覚になっていった。
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    イタリア
    『“誰ひとり” ここにいたいなんておもっちゃいないよ』
      パオロ・ジョルダーノ著『兵士たちの肉体』(早川書房 2013年邦訳刊)

    イタリアの作家、パオロ・ジョルダーノの小説『兵士たちの肉体』訳刊)はフィクションです
   が、11年9月23日のアフガニスタン西部ヘラートでの戦闘などを下敷にしています。
     <続きを読む>


    日本
    『日本軍は日露戦争の時から兵士の“惨事ストレス”を知っていた』
      藤井忠俊著『在郷軍人会 良兵良民から赤紙・玉砕へ』(岩波書店 2009年)

    戦場で戦ったものはただの帰還兵ではなかった。日露戦争では10万の死者を出した後の凱旋
   であり、・・・。
    日露戦後の帰還兵たちにも、社会の適応できないでいる実態がある。1945年戦後直後の
   “特攻がえり”や、復員軍人の有様に通じるところがないではない。
    日露戦争が生んだ大きな変化は、戦争の激しさとそこで見た死の境界、その体験のトラウマが
   消えていない帰還兵が町や村に堆積したことであった。・・・
    日露戦争の異常さは振幅をひろげて、社会問題になったことはもちろんである。帰還兵のトラ
   ウマには二重の問題が伏在していた。その時、彼らにとっては戦場から帰還した人間としての共
   同体社会への復帰のあり方が当面の課題となる。だが、その伏線として、自分たちがどうして選
   ばれて戦場へ行かなければならなかったのか、という問いである。それは選ばれた彼らが言葉に
   よって提起したわけではない。しかし共同体の人々はよく知っている事態であって、共同体内で
   も何らかの救済があってもよいという共通の意識をもっていた。
    徴兵制の開始以来、・・・選ばれた青年にとって不平等感はぬぐいようがなかったのである。
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     ≪活動報告≫ 20.9.11


    アメリカ
    『2005年、退役軍人に障害給付金345億ドル支払っている』
      ジョセフ・E・スティグリップ&リング・ビルムス著
      『世界を不幸にするアメリカの戦争経済――イラク戦争3兆ドルの衝撃』
      (徳間書店 2008年邦訳刊)

    〔湾岸戦争から]16年以上経った現在でも、アメリカは湾岸戦争で戦った20万人以上の退
   役軍陣の対して、毎年43億ドルを超える補償金、恩給、障害手当てを支払っている。湾岸戦争
   の障害手当てだけで、すでに500億ドルも費やしているのだ。
    アメリカには存命中の退役軍人が2400万人いて、そのうち約350万人(とその遺族)が
   障害手当てを受け取っている。総合すると、アメリカは2005年、過去の戦争の退役軍人に年
   間の障害給付金として345億ドルを支払っている。そこには、湾岸戦争の退役軍人21万17
   29人、ベトナム戦争の91万6220人、朝鮮戦争の16万1512人、第二次大戦の35万
   6190人、第一に大戦の3人が含まれる。それに加えて、アメリカ軍は障害退役手当に年間1
   0億ドルを支払う。」



    アメリカ
    悪夢に勝つためには、真実を語る必要がある
      アレン・ネルソン著 『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?
      ベトナム帰還兵が語る「本当の戦争」』(2003年 講談社刊)

    アレン・ネルソン。ニューヨーク市生まれのアフリカ系アメリカ人です。
    ベトナム戦争に海兵隊員として参加します。

    わたしは最初の休暇のことを思い出します。
    初めてベトナムからニューヨークの実家に帰りついた。1967年のある日のことを。

    わたしは20歳の海兵隊員で、ノリのきいた軍服を着こみ、ピカピカの軍靴をはいていて、ザ
   ックを肩にかけ、ブルックリンの通りを実家に向かって歩いていました。……
    家にたどり着き、そしてドアをノックしたのです。
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    韓国
    15年5か月間の兵役中に死亡した人は、自殺3263人
      韓洪九著『韓洪九の韓国現代史――韓国とはどういう国か』(平凡社刊 2003年)

    現行の徴兵制の一番大きな問題点は、政府が軍隊に人間を無制限に供給できる体制下では人間
   の価値を取り戻すことができないという点です。わずか100日間に5万人を餓死させた国民防
   衛軍事件は過去だとしても、1980年から95年までの15年5か月間に軍に服務中死亡した
   人は、自殺3263人、暴行致死387人など合計8951人にも達します。これは1年平均5
   77人の若者が命を落としていることで、韓国軍は戦争をしなくても3年間ごとに一個連隊の兵
   力を失っていることになります。湾岸戦争の当時、米軍の死亡者が269人にすぎなかったこと
   に比べると、このような損失がどれほどひどいことかがわかります。
     ……
    われわれは70万人に迫る大軍に、300万人の予備軍、500万人の民間防衛軍を所有して
   います。人海戦術を考えているのでなければ、このような膨大な軍隊を維持する必要はありませ
   ん。現代戦において兵力数は重要でないということは、小学生にもわかる常識です。
    1980年から1995年までの15年5か月間の兵役中に死亡した人は、自殺3263人、
   暴行致死387人など、合わせて8951人になります。1990年代後半に入って、死亡者数
   は減りましたが、いまだに96年に330人、97年に273人、2000年に182人で年平
   均200人から300人に達しています。」



    ロシア
    『兵士は命令に従うだけだが、まったく意味のない戦争をさせられている』
      野田正彰著『戦争と罪責』(岩波書店 1998年刊)

    旧ソ連においても同じであった。1979年末から89年2月まで、ソ連軍はアフガニスタンに
   侵攻し、イスラム系ゲリラと戦った。アフガニスタン帰還兵も、戦争後ストレス障害に脅かされた。
    私は1992年3月、モスクワのロシア共和国精神医学研究センターを訪ねた。ここでアフガン
   帰還兵の精神障害の研究、および220の病院で実施している治療ポログラムの検討が始まってい
   た。ベトナム侵攻と同じく、アフガン戦争でも明確なフロント(前線)がなかった。戦争の大義も
   曖昧だった。復員後、離婚、暴力、自殺などが多発したのである。
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    PKOに参加した自衛隊員はカンボジアの影を曳きずっていた
      杉山隆男著『兵士に聞け』(新潮社 1995年刊)

    自衛隊の陸上部隊としてはじめて海を渡ったカンボジア第一次派遣施設大隊は、半年の任務を
   無事終え二次隊にバトンを渡して帰国した93年4月に解散している。600人の隊員を率いて
   この舞台の指揮をとってきた大隊長渡邊隆二佐もその時点で大隊長の職を解かれ……
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    アメリカ
    第二次大戦中、精神的虚脱のために50万4000の兵員を失った
      デーヴ・クロスマン著『戦争における「人殺し」の心理学』 ちくま学芸文庫

       精神的戦闘犠牲者の本質 ――戦争の心理的代価――
    リチャード・ゲイブリエルはこう述べている。「今世紀に入ってからアメリカ兵が戦ってきた
   戦争では、精神的戦闘犠牲者になる確率、つまり軍隊生活のストレスが原因で一定期間心身の衰
   弱を経験する確立は、敵の銃火によって殺される確立よりつねに高かった」。
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    ドイツ
    強制収容所体験のような特定の負荷状況から日常一般の負荷状況へ
      小俣和一郎著 『ドイツ精神病理学の戦後史』

    1950年代後半から60年代前半にかけての限られた一時期に、精神病理学は強制収容所か
   ら開放された被迫害者が呈する様々の精神症状についての、一連の客観的研究を行なってはいる。
   ……このような研究のきっかけとなったのは、1953年に当時の西ドイツ連邦会議において制
   定された、ナチ時代の被迫害者に対する補償措置『連邦補償法』(BEC)であった。この法律
   によって、強制収容所体験者で健康上の被害を被った者にも、はじめて一定額の一時金または年
   金が支給されることになった。
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    被爆者自身は、被爆後の心理状態を虚脱状態という
      ロバート・J・リフトン著 桝井迪夫 他訳
      『広島を生き抜く 精神史的考察』(岩波現代文庫)

     「歴史の屍」
    「歴史の屍」とは、結局、重要な象徴の破壊にほかならない。大田洋子は、広島の過去の歴史
   を包摂する建物が破壊されたのを見たのである。彼女の言葉には、物理的破壊と内面的象徴の崩
   壊とが切っても切り離せないものであることが明確に表現されている。
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    イギリス
    臨床資格の格づけの基準設定方針は医療部門の外から
      R.D.レイン 中村保男訳 『レイン わが半生 精神医学への道』
      (岩波書店 1986年刊)

    1951年は朝鮮戦争の時で……陸軍は、軍隊内の“戦傷者”や患者に積極果敢な治療を施す
   方針をとっていた。「最優秀の」民間治療期間で行われていた治療に劣らぬ積極的な治療の恩恵
   に患者をあずからせることによって陸軍は「その身内の世話」をしていたわけである。士官でさ
   え精神異常になることがありうるのだ。癌を恨むことができないのと同様、そういう士官を恨む
   わけにはいかなかったのである。
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    「戦争が止まらない限り、精神的な病気は多くなるだけ」
      野田正彰著『戦争と罪責』(岩波書店 1998年刊)

    43年3月、小川武満さんは北京の南、石家荘軍病院に配属された。……
    小川軍医は内科の重傷病棟の担当となった。……だが、それよりも、小川さんが驚いたのは原因
   不明の重病人の多いことであった。
    原因不明の高熱、けいれん、嘔吐、あるいは喘息。多くはやせ細り、悪臭が酷かった。排尿の抑
   制ができず、朝も夜も失禁していた。下痢は止まらず、汚れ、ミイラのように小さくなって死んで
   いった。
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    奇襲攻撃で精神に異常をきたしていた
      吉田重紀著『孤島戦記 若き軍医中尉のグアム島の戦い』(光人社 2005年刊)

    1944年3月4日、陸軍戦闘部隊第三十八連隊がグアム島に上陸します。
    その中に軍医の吉田重紀中尉がいました。

    私たちは、野戦病院の跡を急いで突っ切って、対面のジャングルの中に入ろうとしたときである。
   突然、前方から2人の兵隊が足早にこっちに近づいてくるのに出会った。相手のほうも、友軍であ
   る私たちの姿を認めて接近してきたもののようだった。
    よく見ると、そのうちの1人が、まぎれもなく私の当番兵だった泉井章一等兵ではないか。私は
   びっくりして大声をあげた。
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    満州第一次武装移民に「屯懇病」
     野添憲治著「開拓農民の記録 日本農業史の光と影」 社会思想社 1996年

   「1932年8月議会を通過した屯田式農村設定案は、まず第一次として1.000人を移民させ
   ることであった。
    公式には『拓務省第一次武装移民団』と呼ばれたこの第一次移民の募集は、9月1日から東北・
   中部・関東の11県の在郷軍人のなかから募集され、選抜された420人は、9月8日にはすでに
   大陸へ上陸するという猛スピードであった。・・・
    こうした武装移民団によって、弥栄村が築かれたのであった。
    このようにしてようやく定着したかに見えた第一次武装移民に、こんどは内部から新しい問題が
   発生した。関係者のあいだでは『屯懇病』と呼ばれたもので、入植の条件があまりにもずさんで劣
   悪をきわめたことや、半日勢力の襲撃で多くの戦死傷者が発生したこと、孤立した男だけの生活の
   なかからうまれたノイローゼなどが原因となり、団員や幹部排斥がおこり、退団者が続出したので
   ある。5年のあいだに、退団する人が157人にも達した。」
       秋田由利からの分村です。
   「入植式と前後して団員のなかに流行性脳髄膜炎が発生したり、満州に行くと立派な家に入ること
   ができ、大地主になってあまり労せずに莫大な収穫を得られるといわれてきたのに、現実はあまり
   にもかけ離れているところからくる不満とホームシックから、屯懇病にたちまちのうちに団員にひ
   ろがり、補充先遣隊の半数が脱退していくなど、営城由利の建設は順調に進まなかった。」

      満蒙開拓青少年義勇軍に“屯懇病”蔓延
      上笙一郎著『満蒙開拓青少年義勇軍』(中央公論社 1980年)

    1932年8月、満州移民計画が議会を通過し、10月から送り出します。
    第一次農業移民団423人はソビエトとの国境付近に近くの自称弥栄村、33年夏に第二次移民
   455人が千振村に入植します。これらは武装移民で軍編成がおこなわれ、日本刀、拳銃、小銃、
   迫撃砲、機関銃などを備えています。ソビエトに対する第一線兵力の扶植の軍事的役割を負わせら
   れました。
    中国農民たちによる民族独立運動組織・反満抗日パルチザンなどの抵抗・襲撃による生活と生命
   の危険もありました。
    1934年2月、1万人の農兵が土龍山を根拠地として十数日間蜂起する事件が起き、関東軍の
   連隊長以下20人を殺害します。
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    ドイツ
    精神病者の断種は、人種問題より以前の問題
      北杜夫著 『夜と霧の隅で』 新潮文庫

    まことに鉄の意志をもって、ナチスは無数の人々を組織化した地獄に送り込んだ。かかる周到
   な冷静さ、かかる徹底した配慮を歴史は知らない。アリアン人の血の純潔中をけがすユダヤ人、
   単に非協力的というにすぎぬ政治犯など――犠牲者は一夜のうちに家族ぐるみ消えうせたが、こ
   れが世に名高い、ブラウナウの男の「夜と霧」命令である。アウシュビッツ、ダッハウ、トレブ
   リンカ、ベルゼン、ザクセンハウゼン等の強制収用所における死者の数は想像を絶する。有史以
   来の鉄量と火薬の炸裂した対戦を通じ、いかなる国の戦士者もその何分の一にしか当たらない。
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    「行軍に精神病者はいない」
      斉藤茂太著 『精神科医三代』 岩波新書

    国府台陸軍病院(現在の国立精神・神経センター国府病院 千葉県)が大幅に拡充されて戦争
   神経症を含む精神神経疾患の患者の収容が開始されました。

    国病と精神科との関連ができたのは昭和12年末のことである。時の陸軍省小泉親彦医務局長
   (東条内閣の厚生大臣で終戦時自決)はドイツで観察した第一次大戦の経験から、必ず日本でも
   大量の精神症者が発生するであろうと予測し、精神神経科の専門病院にするために国病に白羽の
   矢が立ったのであった。陸軍唯一の精神科専門医で、ドイツ留学の経験のある諏訪中佐が北支か
   ら呼びかえされて病院長として赴任した。
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   日中戦争は、日本軍が本格的な戦争神経症の発生に直面した最初の戦争
    吉田裕著 『日本の軍隊』 岩波新書

    日中戦争における日本軍の軍紀の退廃を考える上で、もう一つ重要なのは、休暇制度の問題だ
   ろう。これについては、長谷川慶太郎編『情報戦の敗北――日本近代と戦争1』(PHP研究所、
   1985年)が、すでに次のように指摘している。
     <続きを読む>


    「選りすぐった精鋭が精神異常などを起こすはずはない」
      内村祐之著 『わが歩みし精神医学の道』 (みすず書房 1968年刊)

    今日、広く読まれている阿川弘之の『山本五十六』によると、三国同盟反対派の米内光政、山
   本五十六の両大臣が海軍省を去った後、同じ精神を受け継ぐ者として、この両人から信頼されて
   海軍大臣となった吉田善吾大将は、同盟締結の3ヶ月前のころ、「強いノイローゼにかかり、入
   院中で……大臣をやめてしまった」としるされている。
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    軍事力、生産力の増強のため産業心理学

    労働が人間に及ぼす影響の研究は、医学、生理学につづいて1910年代に産業心理学として
   発展します。そこでは労働現場での基本的能力、個人差、適性、学習、訓練と単調、注意、疲労
   などの問題が追及されました。
    1914年第一次世界大戦がはじまります。欧米列強は長期化すると予想をしていなかったた
   め、軍隊の戦闘性だけでなく、軍の近代化と国民的、社会的基盤の拡大・強化、それへの国民的
   動員にせまられました。軍事力、生産力の増強のため産業心理学の実践がおこなわれます。
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   「戦争神経症」(「戦争ヒステリー」)という後遺症
     小俣和一郎著 『ドイツ精神病理学の戦後史』

    1914年にはじまる第一次大戦は、それまでの戦争にはなかった膨大な数の死傷者を生み出
   した。『総力戦』という言葉がはじめて使われたことからもわかるように、前線兵士のみならず、
   一般市民にも食糧不足などの深刻な影響が及んだ。また、当初は簡単に終結すると思われていた
   戦闘は、長期の塹壕船となって前線兵士に心身の消耗を強要した。
     <続きを読む>


    「社会的組織とは個人の破壊に対する最大の防衛」
      エイブラム・カーディナー著 『戦争ストレスと神経症』(みすず書房)

    外傷神経症のほとんど唯一の古典で、PTSD概念構築作業となった。第一次大戦の症例に第
   二次世界大戦の経験と症例とを加えて1947年に第二版が出版されました。

    戦争のもたらすストレスは、これを三分して(1)生理学的、(2)社会的、(3)情動的ス
   トレスとすればどうだろうか。
    最大のストレスは全面的あるいは部分的自己破壊という現実の危険である。他のすべてのスト
   レスを圧する重大なストレスがこれであり、ストレス反応の大部分はこれを中心としている。他
   のストレスはすべて修飾因子である。
    ……
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   日露戦争 自傷者続出
    大浜徹也著『明治の墓標 「日清・日露」―埋もれた庶民の記録』(秀英出版 1970年刊)

    旅順攻略をめざす第三軍は……8月19日、第一次旅順総攻撃がくわだてられたが、……第一次
   総攻撃を前に、第三軍は異様なくうきでつつまれ、戦争への恐怖が徐々にではあれ、広がっていっ
   た。兵士の多くは脚気と伝染病になやまされ、戦わずして脚気に倒れることに、軍医は苦慮した。
   戦争におびえる兵士は、戦線からの離脱をめざして自傷するものをはじめ、発狂するものなどがあ
   らわれ、また戦場では味方打ちという事態までがみられた。恐怖がつのる戦場を、(第三軍の陸軍
   二等軍医正の)鶴田(禎二郎)は簡潔な筆で描いている。
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