いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター(IMC)




















  『本』の中のメンタルヘルス  軍隊・戦争




   「選りすぐった精鋭が精神異常などを起こすはずはない」
     内村祐之著 『わが歩みし精神医学の道』(みすず書房 1968年刊)

    今日、広く読まれている阿川弘之の『山本五十六』によると、三国同盟反対派の米内光政、山本
   五十六の両大臣が海軍省を去った後、同じ精神を受け継ぐ者として、この両人から信頼されて海軍
   大臣となった吉田善吾大将は、同盟締結の3ヶ月前のころ、「強いノイローゼにかかり、入院中で
   ……大臣をやめてしまった」としるされている。当時の情勢をいま顧るとたとえ吉田大将が健在で
   あったとしても、同盟締結へと向かう大勢を食い止めることはできなかったであろう。しかし当時、
   対米英戦争防止のための唯一の防壁が海軍であったことを思い合せると、ここは1つの転換点であ
   った。そして、この時の大臣の病気が、単なるノイローゼではなく、希死観念を伴う激越性デプレ
   ッションでるとすれば、それは、精神医学を学ぶ者にとって少なからぬ関心をそそることではある
   まいか。
    吉田氏はすでにさきごろ死去したとはいえ、ここは最小限の記述にとどめるべきだと思うのだが、
   当時、私の意見を求めるため、私と連れ立って氏の病室を訪れた軍医学校の内科教官に対し、「お
   まえたちに、(私の苦しみの)何がわかるか!」と吐き捨てるように言った吉田氏の切々たる言葉
   は、今日なお私の耳底に残っている。それは、滔々たる大勢に、ただ1人、逆らうという、困難を
   きわめた立場に立たされた人の、口に尽くし得ぬ苦悩の表現だったのだと、今にして思い当たるの
   である。
    東京大学精神科教授と海軍省とは、古くから関係をもち、呉秀三教授以来、歴代の教授は、海軍
   具に学校の学生に対して、毎年一定の期間、精神医学の教務を担当していた。それゆえ私も東京大
   学と松沢病院とを用いて、臨床講義を行って来たが、このことからも明らかなように、海軍軍医学
   校では精神医学の教官を作らず、また軍医の中には1人の精神医学専攻者もいなかった。それに比
   べて陸軍では、たとえば、かつての陸軍省の医務局長で後に初代の厚生大臣となった小泉親彦中将
   などのように、精神衛生の重要性について深い認識をもった人がいたら、諏訪敬三郎君のような、
   優秀で、かつ人格のすぐれた精神医学専攻の軍医を育て上げたのである。それに比べると、科学技
   術の採用にははなはだ進歩的であった海軍にして、この医学面での不認識は何たることかの感が深
   い。
    私も折に触れて専門家の要請を海軍に進言したが、それは兵科の上層部により、一顧の価値だに
   無いものとされた。これは海軍の精鋭主義に根ざした思想であって、選りすぐった精鋭が精神異常
   などを起こすはずはないとの考えに基づくものであったらしい。その考えの誤りであることは戦争
   の進展とともに明らかになったはずだが、海軍全体としては、終わりまで、その思想を変えなかっ
   た。

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