いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター(IMC)




















  『本』の中のメンタルヘルス 軍隊・戦争




    PKOに参加した自衛隊員はカンボジアの影を曳きずっていた
      杉山隆男著 『兵士に聞け』 新潮社刊

    自衛隊の陸上部隊としてはじめて海を渡ったカンボジア第一次派遣施設大隊は、半年の任務を無
   事終え二次隊にバトンを渡して帰国した93年4月に解散している。600人の隊員を率いてこの
   舞台の指揮をとってきた大隊長渡邊隆二佐もその時点で大隊長の職を解かれ……

     後遺症
    渡邊二佐は「国際貢献」という言葉があまり好きではない。それはカンボジアの人たちが日本の
   PKO活動を見て、そう評価してくれるかどうかの問題であって、自分から「貢献」などという言
   葉を持ち出すのはひどくおこがましい気がするのだ。
    だが、All for One, One for all の言葉を心に刻みつけてカンボジアで過ごした時間は、実は
   日本人が考えている以上に個人的にも社会的にも大きな広がりと深い意味を持った6ヶ月だった。
   日本に帰国してから彼が自分自身「視られている」ことを意識せざるを得ないのはそのほんの一例
   にすぎない。そして、PKOがカンボジアから帰ってきたいまもなお終わらないでいるのは、彼ひ
   とりではなかった。PKOに参加した千二百人の自衛隊員が多かれ少なかれさまざまな形でカンボ
   ジアの影を未だに曳きずっているのだった。

    B三佐の体に、他人が見てもわかるほどの「異常」があらわれるようになったのは、カンボジア
   から帰国してしばらくたってのことだった。
    デスクに向かって仕事をしていると、突然、汗が出てくる。それも尋常な出方や量ではない。迸
   るという表現が決して大袈裟に聞こえないくらい、額の生え際や首すじ、そして腋の下や背すじの、
   毛穴という毛穴から堰を切ったようにいっせいに汗の粒が吹き出して、あとからあとから流れ落ち
   るのである。陸上自衛隊の夏服はクリーム色の開襟シャツである。濡れると結構目立つ。そのワイ
   シャツの背中に地図でも描いたようにみるみる染みが広がっていく。頬を伝った汗が大粒の滴とな
   ってデスクの上の書類にぽたぽたしたたり落ちていく。
    この頃にはB三佐の様子がおかしいことに、机をならべて仕事をしている同僚や上官たちも気が
   つく。どうした、とのぞきこんだ彼らは、B三佐は、「お、いけねえ、いけねえ」とバツが悪そう
   につくり笑いを浮かべながら、ハンカチで汗を拭きとろうとする。しかし、拭いても拭いても汗は
   あふれ出てくる。頭の奥の毛穴から汗が際限なく吹き出て、髪の毛の間を縫うようにして頭皮を這
   っていく感覚が自分でもわかる。体温の調整機能が狂って体内の水分をすべて出し切るまで収まら
   ないようなすさまじい汗の出方である。だが、十分もすると、かきはじめたときと同じようにまた
   突然、汗は止まる。汗が出るのは陸幕のオフィスで仕事をしているときとは限らない。自宅でくつ
   ろいでいるときでも通勤途中の電車の中でも、何の前ぶれもなくいきなり汗がしたたり落ちてくる。
   汗ばかりではない。時には急に吐き気に襲われることもある。胸がむかついてきてトイレにかけこ
   む。嘔吐特有の胃が締めつけられるような感覚がして何かがこみあげてきそうになる。しかし便器
   にかがみこんで手を喉の奥に突っ込んでみても何も出てこない。しばらくすると吐き気は嘘のよう
   に去っていく。二日酔いのような逃げ場のないもやもやとした気分の晴れない状態がつづくわけで
   はない。吐き気が収まったあとはごくふつうに食べ物が喉を通るしデスクに向かって仕事をつづけ
   ることもできる。食事時になればきちんと腹は空くのだった。それにしても吐き気は気まぐれだっ
   た。どんなときにやってくるかという予測がまるで立たない。だから酒を控えるとか食事に気をつ
   けるといった備えようがなかった。まさに一陣のつむじ風のように突然わき起こり、彼のことを弄
   ぶとそれで気がすんだかのように消えている。しかし吐き気を感じない日がしばらくつづいて、も
   う収まってくれたのかなと油断していると、不意にむかむかとくる。始末が悪いのである。
    一度ならまだしも幾度となく突然の発汗と吐き気に教われるようになると、さすがにB三佐も何
   か病気にかかったのではないかという不安にかられだした。風邪をこじらせたのかとも思ってみた
   が、汗が出る割には発熱するわけでもなければ、ぞくぞくするような寒気に襲われることもない。
   手足が痺れるとか、頭痛がするという自覚症状もないのである。だいいち病気なら症状が進行して
   体にもっと深刻な変化があらわれてよさそうなものである。だが、吐き気と発汗にしつこくつきま
   とわれることはあっても、それ以上のダメージを被るようなことはいっさいなかった。ただ所構わ
   ず滝のように汗をかき気まぐれな吐き気に襲われるのである。それだけB三佐は、自分の体の中で
   いったい何が起こりはじめているのか、かえって薄気味悪かった。目には見えないけれど、しかし
   確実に体の中では得体の知れないものがバイオリズムを狂わせている。病気でもないのに自分の体
   がいいようにかき乱されていると感じるのは決して気持ちのよいことではなかった。
    だが、体の「異常」は、夏が終わり、秋めいた透きとおった空気が街をつつみこむようになると、
   ある日突然として終わった。あの汗と吐き気がいったいどこからやってきたのか、何が原因だった
   のか、まったくわからないまま、来たときと同じく突然去っていったのである。しばらくの間はい
   つ再発するかと不安でならなかったが、1週間が何ごともなく過ぎ、やがてひと月が無事にたつと、
   B三佐はようやく安堵感にひたることができた。少なくともハンカチを何枚も用意しておかなくて
   もすむし、満員電車の中で汗みずくになっている彼のことを気味悪そうに盗み見るまわりの視線を
   気にしなくてもいい。だが、B三佐は、それから2年以上が過ぎたいまになっても、あの体の「異
   常」はいったい何だったのだろうと、ふと狐につままれたような不思議を感じている。
    「異常」が出現したのはカンボジアから半年ぶりに帰国したその後だった。従って手っ取り早く
   考えられるのは、カンボジアでの半年が「異常」の何らかの原因になっているということである。
     ……
    カンボジアに派遣された自衛隊員というと、どうしてもテント暮らしをつづけながら道路や橋の
   補修にあたった施設部隊の隊員たちに眼が向けられがちがが、それとは別に、各国の軍人とチーム
   を組んで停戦監視活動に加わった自衛官もいた。停戦監視委員と呼ばれた彼らは二佐から一尉クラ
   スの中堅将校で、施設部隊のように第一次、第二次に別れ、それぞれ8人ずつヴェトナムやタイと
   の国境をはじめ紛争各派の支配地域を接したレッドゾーンに飛び散って半年の間監視の仕事をつづ
   けた。B三佐も実はそうした1人だった。
    停戦監視要因は、紛争各派の間で和平協定に違反した戦闘が起きていないか、国境を越えて武器
   が流れ込んでいないかなどを自ら足を運んでチェックするだけではない。停戦違反の芽を摘むため、
   紛争各派と日頃から接触して彼らの不平不満や要求に辛抱強く耳を傾けガス抜きをしながら、彼ら
   が今後どんな行動に出るか、その動向を見極める情報収集も大切な仕事である。施設部隊と違って
   小隊や中隊の仲間と一緒に動くわけではない。武装勢力が睨み合いをつづけている一触即発の危険
   をはらんだ最前線に、わずか4、5人の監視員だけで分け入って両者を引き離さなければならない。


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