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日露戦争 自傷者続出
大浜徹也著『明治の墓標 「日清・日露」―埋もれた庶民の記録』(秀英出版 1970年刊)
旅順攻略をめざす第三軍は……8月19日、第一次旅順総攻撃がくわだてられたが、……第一次
総攻撃を前に、第三軍は異様なくうきでつつまれ、戦争への恐怖が徐々にではあれ、広がっていっ
た。兵士の多くは脚気と伝染病になやまされ、戦わずして脚気に倒れることに、軍医は苦慮した。
戦争におびえる兵士は、戦線からの離脱をめざして自傷するものをはじめ、発狂するものなどがあ
らわれ、また戦場では味方打ちという事態までがみられた。恐怖がつのる戦場を、(第三軍の陸軍
二等軍医正の)鶴田(禎二郎)は簡潔な筆で描いている。
6月21日自己の拳銃にて左手貫通銃創を受けたる兵、第25日の明日全治の筈(略)
本日又1名の拳銃自傷者入院(同様砲兵隊)の負傷の状況相一致せり、手掌黒染相同じ、射入
口は長5㎜、幅2㎜の裂創、射出口は三叉状をなす、骨に関せず(明治37・7・15)
昨日午前1時30里堡第四糧食縦列輸卒倉本某哨兵勤務中夜中数人の通行者を誰何せしに返答
ぜずして逃去る様の景況なる故、携帯の単発村田銃を装填せんとし誤て顛ぼくの際左腕関節掌面
最外部より射入(射入口径1.8㎝三角形)し広大なる破壊作用を手背に呈す(略)(自傷の疑
あるもの之にて3名なり)(明治37・7・17)
衛生隊上等兵1名、精神異状にてピストル(二十六年式)自殺す。
……
旅順陥落への確信が兵士の敢闘精神をささえていただけに、総攻撃の失敗は兵士の失望を大きな
ものとし、その戦闘意欲を失わせた。しかも、堅い要塞と機関砲の前に、兵士は屠場へひき出され
るこひつじのごとく、死しかないとき、兵士の心は恐怖に支配され、士気の衰えはいかんともしが
たかったのである。
星野第二野戦病院長曰く、頭部銃傷を受けて精神少しく異状を呈せる一兵士入院せるあり、該兵
曰く、敵兵の「ウラー」を聴くときは全身に冷水を灌注せらるる如き感をなすと、以て一般士気の
沮喪を証すべきなり(明治37・8・29)
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