いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター(IMC)




















  『本』の中のメンタルヘルス 軍隊・戦争




    「戦争が止まらない限り、精神的な病気は多くなるだけ」
      野田正彰著『戦争と罪責』(岩波書店 1998年刊)

    43年3月、小川武満さんは北京の南、石家荘軍病院に配属された。……
    小川軍医は内科の重傷病棟の担当となった。……だが、それよりも、小川さんが驚いたのは原因
   不明の重病人の多いことであった。
    原因不明の高熱、けいれん、嘔吐、あるいは喘息。多くはやせ細り、悪臭が酷かった。排尿の抑
   制ができず、朝も夜も失禁していた。下痢は止まらず、汚れ、ミイラのように小さくなって死んで
   いった。
    彼は当時できる検査は総て行った。……特に問題はない。いわゆる「戦争栄養失調症」と診断さ
   れた病像である。……なぜ栄養失調症になるのか。
    実は、兵士は拒食症になっていたのである。食べたいものを吐き、さらに下してしまう。壮健で
   なければならない戦場で、身体が生きることを拒否していた。
    医大を卒業して軍医になった小川さんは、精神医学に精通していたわけではない。彼が精神科医
   であったとしても、当時の精神医学は、戦争神経症についてはほとんど研究していない。鍛えれば
   強くなる、報国の集団心理によって死の不安は解消すると単純に考える帝国陸軍から見れば、戦争
   神経症という概念は余分なものでしかなかった。
    しかし、戦争の泥沼化につれて、戦争神経症は確実に増えていったはずである。
     ……
    このように、内地の陸軍病院において精神病者の収容は行われていたが、戦場の第一線において、
   精神医学的研究はほとんど行われず、発症予防のための対策は皆無であった。

    (小川さんが配転になった北京第一陸軍病院の)精神科病棟では、本格的に戦争によって心因性
   の反応を呈した多くの患者に接した。後に慶応大出身の神経科医、八幡軍医がやっと配属されてき
   たので一緒に診断に当たった。
    小川さんたちは「戦争神経症」という概念すら知らなかったが、多数の心因反応を診た。ヒステ
   リー性のけいれん発作を頻発する者、歩行障害、半身不随、失語、自傷。すべて心因性の症状であ
   り、身体に病変はない。夜中にうなされ、突然起き上がって叫ぶ(夜驚症)者も少なくなかった。
   ここで、彼は、症状が改善すると自殺する将兵に衝撃を受けた。1人の将校は症状がおさまった後、
   自決した。
     ……
    小川武満さんは思った。「ここは治すことが殺すことになる。病気だと言っておけば、そのまま
   病人として生きられた。病気でないと説明すると、生真面目な男はそれなりに納得せざるを得ない。
   ところが帰る場所は、元の戦場しかない。そこから脱する道がどこにあるというのだろう」。戦場
   に帰るところを死をもって拒否したこの兵士の心を、軍医である自分は理解できなかった、と自責
   の念がつのった。
    それから小川さんは、あえてはっきり病兵に向かって「人殺しによって解決することは何もない。
   人を殺せば、敵は増えるばかりだ。戦争が止まらない限り、精神的な病気は多くなるだけだ」と発
   言した。傷病兵は軍医の前では物を言いにくい。それでも、彼らの受け答えから同意しているのが
   分かった。それは、小川武満さんが命をかけて実行した、戦争神経症者への最高の精神療法だった
   と、私は思う。


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