いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター(IMC)




















  『本』の中のメンタルヘルス 軍隊・戦争




    満蒙開拓青少年義勇軍に“屯懇病”蔓延
      上笙一郎著『満蒙開拓青少年義勇軍』(中央公論社 1980年)

    1932年8月、満州移民計画が議会を通過し、10月から送り出します。
    第一次農業移民団423人はソビエトとの国境付近に近くの自称弥栄村、33年夏に第二次移民
   455人が千振村に入植します。これらは武装移民で軍編成がおこなわれ、日本刀、拳銃、小銃、
   迫撃砲、機関銃などを備えています。ソビエトに対する第一線兵力の扶植の軍事的役割を負わせら
   れました。
    中国農民たちによる民族独立運動組織・反満抗日パルチザンなどの抵抗・襲撃による生活と生命
   の危険もありました。1934年2月、1万人の農兵が土龍山を根拠地として十数日間蜂起する事
   件が起き、関東軍の連隊長以下20人を殺害します。
    団からは「だまされた」とさまざまな不満が爆発します。第一次移民団からは百数十人の退団・
   帰国者が出ます。第二次移民団からも数十人の落伍者がでます。
    開拓団は意気を沮喪してしまいます。
    のちに「屯墾病」とよばれたストレス、ホームシック、集団的ノイローゼ―の症状が現れました。
    関東軍はこれらを農村に生まれながら学問がある者、内地で裕福な生活をしていた者、いわゆる
   ハイカラ男たちの「薄志弱行者」と呼びました。逆に勇敢で適しているのは、国民高等学校出身者、
   貧困者、純真な青少年としました。

    1938年日本軍は兵士不足を補うため「満蒙開拓青少年義勇軍」を組織し送り出します。
    その中からも「屯墾病」の発症者が現れます。
    それでは、屯墾病とは具体的にどのような兆候を示すのかというと、それは大別してふたつの種
   類があった。義勇軍をはじめ満州開拓関係者が普通に屯懇病と見なしているのが、その第一類であ
   って、ひとくちにいえば〈自閉症〉――精神的に自分の内部へ閉じこもってしまう傾向のものであ
   る。
    訓練所での毎日の生活が味気なく、農作業も軍事訓練もする気にならず、体の具合が悪いといっ
   ては1日じゅう宿舎に寝ており、故郷と父母兄弟を思っては落涙している。食欲もめっきりおとろ
   え、夜もうつらうつらして熟眠することができなくなり、その心配した友人たちが言葉をかけて励
   ましても、はかばかしい反応を示さなくなってしまうのだ。
    このような自閉型屯懇病にかかるのは、どちらかといえば性格的におとなしい少年に多かった。
   そしてその症状は、……時として悲劇を招くことも皆無ではなかった。……
    以上のような第一類の〈自閉症〉に対して、屯懇病の第二種は、〈攻撃型〉といえば適当である
   かもしれない。義勇軍生活への忿懣を自分の心のうちに鬱積させ、自閉的になってしまうかわりに、
   忿懣を外部世界へ向けて攻撃的になってゆくのである。
    その場合、忿懣の捌け口として、当初は自然およびその一部としての動物などが選ばれた。少年
   たちは、理由のわからない怒りが心にみなぎって来ると、木刀を外へ持ち出して草や作物を薙ぎ倒
   し、野原に火をつけてどこまでも燃えてゆくのをみて快哉を叫び、またそこらに遊んでいる犬や猫
   を叩き殺し、豚の尻にナイフを突き刺したりするのだ。
    しかし少年たちの荒れ果てた気持ちは、ものいわぬ自然を痛めつけることでは満たされず、次に
   は、人間を攻撃することに向かっていった。むろんこのようなとき、その攻撃の対象となるのは自
   分より弱い者に限られるわけで、まずさしあたっては、同じ訓練所の後輩が恰好な対象として選ば
   れた。……
    しかしながら、義勇軍の過酷な生活から来る屯懇病の攻撃型の矛先は、同じ義勇軍の後輩たちに
   向けられただけでは済まず、訓練所の周辺に住む中国人にも向けられたのである。……
    こうした盗みについで多かったのは、女性への凌辱をふくむ身体的暴行であった。盗みを働いて
   いる現場を中国人に発見されれば、かえって高圧的に出て腕を振り上げたりしたほか、相手の顔が
   気に入らないとか、先輩になぐられたのが癪にさわるとかいった無茶な理由で、殴打したり蹴飛ば
   したりしたのである。
    ただ、さすがに女性に対する凌辱に関しては、たくさん出ている義勇軍中隊史のいずれもが、申
   し合わせたように口を閉ざしてただの1行も言及していない。たが、誰ひとり語らないからといっ
   て凌辱事件がなかったのではない。わたしは、義勇軍の少年たちを窮極的には被害者と見ているの
   で、心情的には書きたくないのだが、しかし真実を伝えるために敢えて書かなければならないと思
   う――中国女性への凌辱は、殴打と同じくらいの頻度でおこなわれていた、と。……
    少年たちの悪戯というべき段階を越えて、明白に犯罪と見なければならぬこれらの行為に対して、
   満州警察と日本軍とは見て見ぬふりをしていたといえよう。
    満蒙開拓青少年義勇軍の中隊と中隊が衝突し銃で撃ち合い、3人が死傷する事件も起きています。
   昌図事件と呼ばれます。


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