いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター(IMC)




















  『本』の中のメンタルヘルス  軍隊・戦争




    日中戦争は、日本軍が本格的な戦争神経症の発生に直面した最初の戦争
     吉田裕著 『日本の軍隊』 岩波新書

    日中戦争における日本軍の軍紀の退廃を考える上で、もう一つ重要なのは、休暇制度の問題だろ
   う。これについては、長谷川慶太郎編『情報戦の敗北――日本近代と戦争1』(PHP研究所、1
   985年)が、すでに次のように指摘している。

     日本陸軍首脳部が示した兵員の給養についての無関心さ、それはもう1つの重要な問題、すな
    わち、戦線で長期間戦闘に従事した兵員に休暇を与える制度をついに採用しなかったことにもつ
    ながる。第一次大戦での経験を通じて、どの交戦国においても、1年に1週間ないし2週間の休
    暇を将校、兵員全体に与える必要を認め、これを制度化した。日本陸軍、海軍とも、平時におい
    ては、年に20日間の休暇を与えながら、より休暇が必要になる戦時には、逆に1日の休暇も与
    えなかった。(中略)これまた、軍隊生活をますます一般国民から遊離させ、一段と思い負担を
    課すことによって、敗戦直前にはもはや耐え難い状態を作り出す原因となった。

    ところで、欧米諸国が休暇制度の導入に踏み切った1つの背景には、第一次世界大戦中に多数の
   戦争神経症患者が発生し、これに対する対策が軍事医学上の重要な課題となったという事情がある。
   戦争神経症とは、戦時に軍隊内で発生した神経症の総称だが、その発病には環境の力が強く働いて
   いると考えられており、軍隊や戦争という特殊な環境に適応する過程で発生する神経症であるとさ
   れた。そしてその対策のためにも休暇制度の導入が急がれたのである。
    日中戦争は、日本軍が本格的な戦争神経症の発生に直面した最初の戦争でもあった。国府台陸軍
   病院が大幅に拡充されて戦争神経症を含む精神神経疾患の収容を開始するのは、1938年2月4
   日のことだが、戦地から内地に還送される戦病患者の中に占める精神病患者の割合を示したのが表
   14である。戦争神経症を含む精神病患者の増大が深刻な問題になっていったことがわかる。
     ……
    陸軍の軍事精神医学に対する関心は決して充分なものではなかった。
    そのことを考慮に入れるならば、表14の数値はあくまで氷山の一角でしかなく、多くの戦争神
   経症の患者が、そのまま放置されていた可能性は高い。実際、元国府台陸軍病院長の諏訪敬三郎は、
   「更に注意すべきは神経症の性質上明瞭に病名を付せられるのは、症状の顕著な一部に限られると
   云う事実である。即ち病名をつけずに取り扱われる軽症者又は単に神経症的傾向あるにすぎないも
   のが案外おおいのであり、言わば明瞭な病像を呈し戦時神経症と診断されるのは単に氷山の表面上
   に現われた小部分に過ぎず、表面下に潜んで居る方がはるかに厖大なのである」と書いている
   (「今次戦争に於ける精神疾患の概況」、『医療』第1巻第4号、1948年)。

       表14 戦病還送患者中の精神疾患者の割合

      年  次        戦病還送患者   左記に対する精神病の割合
     1937年(8~12月) 10.296      0.93%
     1938年         63.007      1.56
     1939年         60.314      2.42
     1940年         44.393      2.90
     1941年         23.085      5.04
     1942年         19.416      9.89
     1943年(1~8月)   25.250     10.14
     1944年(1~4月)   14.145     22.32


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