いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター(IMC)




















  『本』 の中のメンタルヘルス 海外






















    アメリカ
    テクノストレスは人間の力の限界に対する認識がうすれさせた
     ジル・A・フレイザー著『窒息するオフィス 仕事に脅迫されるアメリカ人』
     (岩波書店 2003年刊)

    ホワイトカラーが、仕事からくるストレスについて愚痴をこぼすのは当然である。
    彼らがオフィスの外でボイスメールとEメールを頻繁にチェックする理由を見つけるのは、そ
   れほど難しいことではない。彼らは、ただメッセージの山に埋もれないようにしているだけなの
   である。流れ作業にたとえることはまったく的を射ているように思われる。社内の連絡通信でレ
   スを――かつてないほど迅速に――かえすことに対する社員のプレッシャーが増すと同時に、仕
   事のペースも加速化してきた。1つには、即時の対応を迫られる内容のメッセージを受け取るこ
   とがますます増えているからである。
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    アメリカ
    『ポストフォーディズムにおける〈人間の条件〉』
     渋谷望 + 酒井隆史 (『現代思想』2000年8月号に収録)

    60年代後半の熾烈さを増したテーラー主義への労働者の抵抗は、テーラー主義のもとで利潤
   率の低下もあいまって欧米では70年代、「労働生活の質(QWL)」のスローガンのもと、
   「構想と実行の分離」というその公理の再考を資本の側に促した。労働者はもはや分断化された
   単純作業の「実行」のみを遂行する「手」としてではなく、「頭」を持った「人間」として扱う
   必要がある。かくしていかに「労働」を「人間化」するかということに関する一連のテーマが生
   じた。もはや労働者の「満足」を賃金の上昇に還元することはできない。
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    ドイツ
    戦後40年たっての謝罪演説

    ドイツだけではなく軍隊と戦争はかくも残虐なことをやってのけます。しかしその過ちを認め、
   教訓とするかどうかで現在に大きな違いがでて来ています。
    ヨーロッパで第二次世界大戦が終わって40年目の1985年5月8日、旧西ドイツ大統領R・
   v・ワイツゼッカーは連邦議会で、後に世界に流布された有名な演説をしました。大統領はさま
   ざまな人びとに思いをよせます。
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    ドイツ
    「引越し」 が引き起こした 「うつ病」
     平井富雄著 『精神衛生管理 企業の中の神経症』(中公新書)

    精神病者の発生理由を、都市部の劣悪な空気・自然環境のせいにしたり、都市生活の生む喧騒
   に帰したりする捉え方は後に変えられていきます。

    仕事上の契機から、この発病状況が形成されてゆくプロセスは、たんに個人心理のみでは理解
   できない。それが関係していることは無視できないが、症状に示されている社会的な影響を症状
   構造論の立場から分析すると、ある社会的価値観が、このプロセス決定の重要な要因として明ら
   かとなる。
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    ドイツ
    強制収容所体験のような特定の負荷状況から日常一般の負荷状況へ
     小俣和一郎著 『ドイツ精神病理学の戦後史』

    1950年代後半から60年代前半にかけての限られた一時期に、精神病理学は強制収容所か
   か開放された被迫害者が呈する様々の精神症状についての、一連の客観的研究を行なってはいる
   ……このような研究のきっかけとなったのは、1953年に当時の西ドイツ連邦会議において制
   定された、ナチ時代の被迫害者に対する補償措置『連邦補償法』(BEC)であった。この法律
   によって、強制収容所体験者で健康上の被害を被った者にも、はじめて一定額の一時金または年
   金が支給されることになった。
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    アメリカ
    予測がつかない不安な状態が精神的ストレスに
     上杉忍著『二次大戦下のアメリカ民主主義』

    日本軍のパールハーバー攻撃が行なわれると、アメリカは西海岸にすむ11万7千人の日系人
   への対応の検討をはじめました。
    4月30日命令が貼り出され、日系人は5月7日まで指定の場所に集合させられた。そして内
   陸の無人地帯に設置された「再定住センター」と呼ばれた強制収容所に家族単位で定住させられ
   ます。
    そこでの生活はどのようなものだったでしょうか。
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    ドイツ
    ナチスによる精神病患者の虐殺
     北杜夫著『夜と霧の隅で』

    精神科医でもある北杜夫が芥川賞を受賞した『夜と霧の隅で』は、第二次世界大戦末期のドイ
   ツ・ミュンヘン近くの精神病院を舞台にし、私たちが忘れてはならない問題を取り上げています。

    ナチスがいち早く『遺伝病子孫防止法』をだしたのは1933年7月のことで、ユダヤ人排斥
   を主眼とする『国民血統保護法』、さらに『婚姻保護法』が制定されたのは1935年になって
   のことである。……ドイツでは最初の1年間におよそ5万6千人余の患者が断種の手術を受けた。
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    軍事力、生産力の増強のため産業心理学

    労働が人間に及ぼす影響の研究は、医学、生理学につづいて1910年代に産業心理学として
   発展します。そこでは労働現場での基本的能力、個人差、適性、学習、訓練と単調、注意、疲労
   などの問題が追及されました。
    1914年第一次世界大戦がはじまります。欧米列強は長期化すると予想をしていなかったた
   め、軍隊の戦闘性だけでなく、軍の近代化と国民的、社会的基盤の拡大・強化、それへの国民的
   動員にせまられました。軍事力、生産力の増強のため産業心理学の実践がおこなわれます。
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    アメリカ
    フォードと労働者
     D.ハルバースタム著『覇者の驕り』

    アメリカ的製造方式と科学的管理をさらに洗練して生産システムの大枠を完成させたのが19
   00年代初めのいわゆる「フォーディズム」と呼ばれたフォードの大量生産方式です。

    フォード社の初期の労働者たちは、熟練した職人であり、働きながら設計図をいじくりまわす
   ような人たちだった。
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    アメリカ
    テイラーによる 「科学的管理法」
     鈴木直次著『アメリカ産業社会の盛衰』

    19世紀半ば以降、製造業には工場制度が広く普及し機械化も進んだ。だが多くの工場の管理
   は、旧来通り、熟練労働者に委ねられていた。それは主として、当時の企業主の多くが商人ある
   いは技術者の出身であり、工場管理のノウハウを全くもちあわせていなかったうえ、それに関心
   も時間もなかったためだった。
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   アメリカ
   「社会はそれが生んだ障害を癒す義務を負う」
    ハーブ・カチンススチュワート・A・カーク著『精神患者はつくられる』(日本評論社刊)

    精神の異常に関心が集まったのは、その発生が増えたためではない。合衆国が農業経済から都
   市経済に移行するにつれ、社会につきまとう病気の多くが、都市生活の結果であると説明された。
  19世紀前半に起きたこの移行は、社会的逸脱の概念を大きく変質させた。異国や農村から来た新
  入りの都市住民は、慣れ親しんだ農村生活との落差に変調を来し、精神の異常へと陥る危険がある
  と考えられた。
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    ドイツの共済制度
     小俣和一郎著『精神病院の起源 近代篇』(太平出版 2000年刊)

    産業革命の波は、19世紀中期に至ってドイツにも及びはじめ、農村地帯から都市部への人口流
   入と都市の膨張を生みつつあったが、その一方で大量の精神病者を発生させることになった。精神
   病の病因論がいまだ未整備の当時にあっては、このような精神病者の発生理由を、都市部の劣悪な
   な空気・自然環境のせいにしたり、都市生活の生む喧騒に帰したりすることが一般的であった。
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    イギリス
    「危険な仕事」に従事する者の死亡率は20世紀の兵士よりもずっと高い
     ジャック・ロンドン著『どん底の人びと ―ロンドン1903―』(岩波書店)

    生命をおびやかすものとして、無数の労働者が雇われている「危険な仕事」がある。こういうし
   ごとに従事する者の死亡率は20世紀の兵士よりもずっと高い。亜麻布産業では亜麻の処理に際し
   て足を濡らし、服をびしょぬれにしなくてはならぬため、気管支炎、肺炎、悪性リューマチが多発
   する。さらに亜麻のもつれを除き、紡ぐ作業の段階では、細かいちりが肺の病気を起こすことが非
   常に多い。17.8歳でもつれ除きの仕事を始める女性は30歳でもう衰弱してしまう。また化学
   工場で働く者については、屈強の若者を選んで就業させているにもかかわらず、平均して48歳以
   下で死亡してしまう。
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    イギリスの産業革命
     加藤寛+最相葉月著『心のケア 阪神淡路大震災から東北へ』

     『鉄道脊髄症(レイルロード・スパイン)』という病名があります。19世紀イギリスの産業
    革命の頃、鉄道が一気に普及したことがあるんですね。普及したはいいけれど、事故が相次いだ。
    するとその負傷者や遺族が共通した強い症状を示したのです。痛みをいつまでも訴えてやまない。
    当時は事故で脊髄を強打したことによって起こったのだと考えられたのです。

     「救援・支援者の心理的負担における一考察 バーンアウトとPTSDの概観を通して」
       堀口真宏 2021年2月 / 東洋学園大学紀要 第29号
     トラウマに関する研究について飛鳥井(1999)によれば,鉄道事故に始まるといわれており,
    英国の外科医である Erichsen(1866)は,鉄道事故後に精神症状を示す症候群を鉄道脊髄症と
    して報告し,脊髄震盪による器質的な原因によるものとした。これに対して,疾患的な妥当性に
    関して Page(1885)が批判をし,鉄道脊髄症の症状は心理的な原因であるとした。また,
    Oppenheim(1889)は外傷神経症(traumatischen Neurosen)を主張し,症状は神経学的な器質
    的障害が基盤にあって生じるものとした。一方,Charcot(1877)は,Erichsen(1866)が挙げ
    たような症状はヒステリーと考え,Oppenheim の主張には批判的であった。この,器質か心因か
    という議論はしばらく続くことになる。


    イギリスの産業革命
     R.D.レイン著『レイン わが半生』の中井久夫の解説

    時代の大きな転換である産業革命は、多くの精神病者を発生させ必然的に急速な精神病院の増加
   をもたらしました。
    イギリスにおいてはその病因を、都市部の煤煙が精神病だけでなく、さまざまの病気の原因だと
   する「ミアスマ(悪い空気)説」と強調していました。
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    イギリスの産業革命
     エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』(1845年刊)

    産業革命を経て綿工業を中心に機械や鉄鋼など多くの分野で工場制度が確立し、分業と専門化を
   通じ、蒸気を利用した原動付きの機械と熟練労働者によって従来とは比較にならない量の製品が安
   価に生産されていきます。
    機械労働は、新たな病気を発症させました。
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