いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター(IMC)




















 『本』 の中のメンタルヘルス 日本






















    『不平等社会日本』
     佐藤俊樹著『不平等社会日本』(中央公論新社)

    1955年から10年ごとに、全国の20歳から69歳の人を対象に職業キャリア、学歴、社
   会的地位、両親の職業や学歴などのデータを集める「社会階層と社会移動の全国調査」(略称S
   SM調査)がおこなわれています。
    1995年の調査結果を分析・研究しています。その中の、地位や経済的な豊かさを得るため
   の『資源配分』における実績と努力などに関してです。学歴は関係ないということではないと結
   論づけています。
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    「全員セールス」の時代
     熊沢誠著『日本的経営の明暗』(岩波書店 1989年刊)

    いま職場に生じつつある仕事の変化の重要な側面のひとつは、『販売・営業』以外の職種の担
   務にもセールスの要素が加えられていることだと思う。『全員セールス』の時代といわれる。セ
   ールスは心労の多い仕事だ。……セールスはいわゆる単純労働ではないかもしれない。
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    真の問題はその人を抑うつに追いやったものが何であるか
      野田正彰著『生きがいのシェアリング 産業構造転換期の勤労意欲』
      (中公新書 1988年刊)

    国鉄の解体を前にして、鉄道に生きてきた多くの男たちが死んでいる。産業構造の転換に直面し、
   異なった社会に出ていくのが怖いのであろうか。疲れ、孤立し、悲惨な死を選んでいる。私は彼ら
   の死を分析しながら「これ以上、死ぬな」、「これ以上、殺すな」と何度となくうめいた。
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    「逆噴射」

    82年、日航機の墜落事故から「逆噴射」という言葉が流行しました。原因は機長の「精神障
   害」でした。これを契機に職場の安全衛生が問題になります。
    西欧で同じようなことが起きたなら、労働法制の抜本的改革が行なわれます。しかし日本では
   場あたり的で、時間の流れとともに関心はうすれていきます。
    この時に労使がもっと問題の本質を突きつめ、共有化しておけば、現在のような過労死、自殺、
   メンタルヘルスの問題は今のように大きくならなかったとおもわれます。結局日本の労働現場の
   状況は労働者個人に責任のすべてが集約される状況のままです。



    QCサークルがものが言えない「企業文化」を醸成

    50年代から鉄鋼の職場を中心に、アメリカで発展した活動・運動である統計的品質管理の手
   法、いわゆるQC(Quality Control 品質管理)活動、ZD(Zero Defect 無欠陥)運動が導入
   されます。アメリカでは会計、人事、法務、調査研究などの基本機能を補佐する職能や部門であ
   るいわゆるスタッフが創意工夫を積極的に生産過程で生かすためのインフォーマルな小集団活動
   です。適性品質の設定とその維持、効率的検査と品質保証が目的です。
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    コンピューターが「思考」を変えた
     平井富雄著『精神衛生管理 企業のなかの神経症』(中央公論社 1972年刊)

    1960年代後半の技術革新は、何といってもコンピューターの導入であろう。ここでは熟練労
   働者のかわりに、おもに記憶と数量統計に費やされる頭脳労働が機械にとってかわられたといって
   よい。……ソフト・ウェアを機械にお覚えこませれば、まちがいなしに、ねらった情報が即座に手
   にはいる便利さを、コンピューターは提供してくれたからである。こうして、事務能率は飛躍的に
   増大し、仕事に必要な情報量は急速に増加した。ソフト・ウェアのアイディアをうまく考えれば、
   未来予測も確率論的に可能とさえなる。企業がこれによって受けた利益はおそらく前例のないもの
   であったろう。技術革新のきわみであるとともに、それは現代における技術の「神の座」を獲得し
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    「労働は、商品ではない」と再確認

    ILOは、第二次世界大戦を防げなかったことを深刻に受け止めます。
    そのなかから44年4月アメリカのフィラデルフィアで開かれた第26回総会では「労働は、
   商品ではない」と再確認した宣言を採択します。さらに貧困と飢餓、差別が戦争を生むと結論づ
   け、宣言の第2章で「永続する平和は、社会正義を基礎としてのみ確立できるという国際労働機
   関憲章の宣言の真実性が経験上充分に証明されていると信じて、総会は「すべての人間は、人種、
   信条又は性に関わりなく、自由及び尊厳並びに経済的保障及び機会均等の条件において、物質的
   福祉及び精神的発展を追及する権利を持つ」などの確認をおこないました。
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    原爆の治療を特別休暇で

    家族や友人を失い、家や職場を焼かれ、みずからも傷ついた被爆者のいのち、くらし、こころ
   の苦闘がはじまりました。恐怖の記憶は消すことができず、精神的に大きな傷を負いました。心
   的外傷後ストレス障害(PTSD)です。
    朝鮮戦争、それにともなう軍事産業の再開は恐怖をよみがえらせました。苦しみから逃れるた
   め何度も死んでしまおうと思ったといいます。
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    軍事工場に精神科の医者が協力
     内村祐之著 『わが歩みし精神医学の道』

    戦時中の労働力の調達はかなりの無理が行なわれました。軍部のスローガンは守られませんで
   した。戦時中の川西航空機、後の新明和工業の状況が城山三郎の小説『零(ゼロ)からの栄光』
   に書かれています。
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    1930年は、総人口が6千万台になったが、自殺者は1万3942人
     松山巌著『群衆 機械の中の難民』(中公文庫 2009年刊)

    (1930年頃)
    いつの日にか、故郷へ帰ろうとした者も、東京や大阪など大都市での生活が長くなれば、やが
   て定住する。墓もまた住まいのちかくに求めた。
    今1つの理由は産業の論理が社会の端々まで行きわたったことである。人間もそのなかでは機
   械の1つの歯車である。老人や病者が労働力として役に立たぬ者と見なされれば、さらに死はそ
   れっきりのことと考えられる。
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    資産を投げ出して設立した「社会問題研究所」
     城山三郎著『わしの目は十年先が見える ―大原孫三郎の生涯―』

    1919年2月(大正8年)、倉敷紡績の経営者の大原孫三郎は、社会問題研究所を設立しま
   す。在の法政大学大原社会問題研究所の前身です。所長には、労働組合期成会を設立した高野房
   太郎の兄の高野岩三郎が就任しました。
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    不況切抜けのため産業心理学研究が開始
     大河内一男著『暗い谷間の労働運動』(岩波新書)

    1910年代にはいるとアメリカの産業心理学が導入、研究が開始され、発展していきます。
   テイラーの『科学的管理の原理』が1912年に、ミュンスターベルクの『心理学と産業能率』
   が1915年に翻訳・出版されたことが弾みをつけます。
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    労働者保護政策は遅延に遅延
     坂寄俊男著『社会保障』(岩波新書)

    日本の工場法は、1911年に制定され、しばらくたった第一次世界大戦中の16年9月1日
   から施行されます。好景気で労働者も増大していました。15人以上雇用する工場での12時間
   労働制などが盛り込まれます。しかし製糸・紡績工場で働く女性労働者などは適用除外となりま
   した。
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    電話交換手が体調不良に

    歴史科学協議会編集『歴史評論』2011年9月号は「特集/近代日本の労働者文化」です。
   その中の「統制と抵抗のはざまで」は電信技手の技術に関する論文です。技手は花形エリートで
   した。技術革新は昔も今も日進月歩です。
    その一方で通話交換業務に従事する交換手がいました。
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    「官」の資料にも劣悪な労働環境
     『職工事情』岩波文庫

    1903年、農商務省商工局工務課工場調査掛は工場労働者の労働事情、労働関係を調査して
   公表しました。そのなかの綿糸紡績職工事情の項です。

    紡績職工疾病の多数は呼吸器病、消化器病にして眼病、関節病、生殖器病等また少なからざる
   が如し。顧うに、紡績職工は終日器械とともに働作するを以って十分の運動をなし、身体に佳良
   なが如くに誤解する者あるも、身体の運動は清潔なる空気中においてし、かつ精神の作用これに
   伴うにあらざればむしろ害あるものなり。
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    外資獲得のために深夜労働導入
     たかせとよじ著『官営富岡製糸所工女資料』

    明治政府は近代化政策として「富国強兵・殖産興業」を掲げました。当時、外資獲得のための
   輸出品の第1位が生糸、第2位がお茶でした。
    富岡製糸場の操業開始にあたっての女工の募集は、大蔵省勧農寮の名で各県に「諭告書」が通
   達され、各府県に人数を割り当てられました。技術を習得し、帰省して地方の指導者とすること
   を目的にしました。
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    大きな社会変動は、精神疾患を急増させた
     小俣和一郎著『精神病院の起源 近代篇』(太田出版 2000年)

    東京に設置された最初の精神病院は上野に設置されていた救貧的病院施設「養育院」に付設さ
   れました。それが1897年に独立、東京府癲狂院となり、その後86年に巣鴨に移転、さらに
   1919年世田谷上北沢に移転します。現在の都立松沢病院です。
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    最初の労災は仏教伝来によって

    日本において最初の労災は、いつのことになるのでしょうか。
    仏教が伝来され、仏像の建立がさかんになると、職人のなかに鉛中毒の患者が発生しました。
   また経典の写経にたずさわった僧や信者の中には、徹夜作業を強いられて胃痛や下痢など消化器
   官を悪化させたり頭痛、肩こりや腰痛、痺れなどの症状などで体調を崩し、辞めていった者や逃
   亡した者が相次いだという記録が残っています。
    過重労働による消化器官の悪化は、おそらく精神疾患の症状だと思われます。


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