いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター(IMC)

 こ こ ろ の ケ ア



    あ り が と が す

             高橋 悦郎

  だらだらの汗 日焼けした顔
  泥まみれの作業服
  おめえ様とすれちがう時
  おらは目頭が熱くなるちゃ
  宿舎にもどっていくおめえさまの背中に向かい
  おれは心の中で最敬礼するのしゃ
  おめえ様は仕事だからと実に恰好いい
  おめえ様にも緑豊かな古里があり
  心やさしい家族が待っているべ
  ほんでも もうちょっとだけ
  おらに力を貸してけねが
  おらも精一杯努力すっから
  必ず夜の次には朝がきて
  泣いたあとには笑うときがくるちゃ
  この前テレビでどこかのばあちゃんが
  ありがとがすと何回も頭を下げていたのしゃ
  おらも同じだ
  ありがとがす ありがとがす ありがとがす
  おらも精一杯努力すっから
  ありがとがす

     (河北新報社の復興支援企画 詩集「ありがとう」から)


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 こ こ ろ の 癒 し
 感 情 労 働 と は
 グ リ ー フ ・ ケ ア と は

 惨 事 ス ト レ ス と は
自治体職員の惨事ストレス対策
教職員の惨事ストレス対策
軍隊の惨事ストレス対策
消防士の惨事ストレス対策
警察官の惨事ストレス対策
報道人の惨事ストレス対策
医療関係者の惨事ストレス対策
救援者の惨事ストレス対策

       人は

           人によって傷つき

               人によって癒される




  デフリーフィングは意見を出し合って
 議論をすることではなく、記憶を封印し
 ないで自分の気持ちを正直に吐露して感
 情を表現することです。封印して感情に
 蓋をするとストレスの消化不良をおこ
 し、記憶を整理することができません。

  スコットランドのディングルトン病院
 で、「治療共同体」を創設したマックス
 ウェルジョーンズは、第二次世界大戦中
 のイギリスの陸軍病院での体験にヒント
 を得たといいます。
 「戦闘で傷つき、絶望と人間不信におち
 いった多くの兵士たちを収容した病院で、
 新しいアプローチが必要になったのです。
  それまでの病院では、医師と患者のあ
 いだには大きな壁があり、患者は黙って
 医師の指示に従うだけでした。ただ薬を
 飲んで寝ていればよかったのです。とこ
 ろが、いくら医師が薬を処方し、病気の
 成り立ちについて熱心に説明しても、患
 者の不安や症状を解消することはできま
 せんでした。
  ただ、元兵士だった者同士が自分たち
 の戦闘体験や恋人について話しあった
 り、病者対抗スポーツ大会などに興じた
 りするうちに、しだいに症状が軽くなっ
 ていくだけでなく、1人ひとりの精神的
 な成長が見られることに気づいたので
 す。そこから治療共同体の方法が生まれ
 ていきました。」(武井麻子著『ひと相手
 の仕事はなぜ疲れるのか 感情労働の時
 代』大和書房)



  カウンセリング治療をするにしても、
 グツープ治療をするにしても、具合が悪
 くなりかかっている人に対して、『その
 ときはものすごく怖かったねぇ』とか
 『目の前で人が亡くなるのを目撃すれば
 気分が沈みますよねぇ』『どんな感じか
 したの?』といった言葉で誘導すること
 は、余計に具合を悪くさせる危険性があ
 ので慎重になるべきでしょう。……
  トラウマ治療で何よりも大切なこと
 は、記憶を掘り起こすことではありませ
 ん。トラウマの原因を追究することでは
 ありません。記憶はその人のペースに合
 わせ、ゆっくりと時間をかけながら無理
 のない形で思い出せばいい。トラウマを
 抱えている人に対して、いかに共感的に
 接するか、そして理解しやすい状態を安
 定させるために、『いま、ここで』の感
 情を表出させていくかが先決です。

  記憶を引き出すことで問題が生じるこ
 とがあるということであれば、グループ
 治療などの語り合いがもたらす効果の本
 当の理由はなんなのでしょうか。
  おそらく、それはただ単に記憶を引き
 出して体験を共有することではなく、そ
 の場にいる人たちが示す『温かい反応
 性』に大きな意味があるのでしょう。
 (和田秀樹著『災害トラウマ』ベスト新
 書)


   平成23年度 全国中学生人権作文コンテスト埼玉県大会
   最優秀作品(社団法人日本新聞協会会長賞)

         『支えあって生きる』

   基本的人権の尊重。今までの自分が人権について知っていることと言え
  ばこの言葉ぐらいだ。日本は、世界に比べれば平和で安全な国だし、自分
  もその国で、何不自由なく幸せに暮らしていた。そうあの日までは…。
   3月11日の東日本大震災は、たぶん日本の歴史に残る大きな災害だ。
  教室の後ろに掲示してある歴史年表にも、いつか刻まれることと思う。ぼ
  くは、その被災地に住んでいた。地震で建物が壊れたりしたものの、家族
  や友達、地域の方々に亡くなった人はいなかった。
   しかし、地震の後の原発事故のため、ぼくと家族は家を離れ、友達や親
  しい人たちと別れなければならなくなった。生まれ育った故郷を離れなけ
  ればならなかったのだ。
   人権をおびやかすもの。戦争や紛争、貧困、差別や偏見、環境破壊な
  ど、今までの自分にはなんの興味もなかったことだった。まだ戦争や紛争
  中で、子供たちの命が危ない国があることも、戦争は終わったけれど、貧
  困のため食べるものがなく、病気になっても満足な治療も受けることがで
  きない国があることも社会で学習した。テレビでそんなニュースを見れ
  ば、かわいそうだと思ったし、争いがよくないことも分かっていた。
   しかし、それは自分にとって、遠い遠い国の出来事で、自分の心を痛め
  るようなことではなかった。まさか自分たち家族が、家を無くし、日本中
  を転々と移動しながら、目に見えない恐怖におびえ逃げまどう避難民にな
  ろうとは、想像もしていなかった。避難所では、配給のおにぎりを妹と半
  分にして食べた。薄い毛布にくるまり、寒い夜を過ごした。ラジオのニュ
  ースを聞くのが、とても怖かった。
   避難先でぼくと妹は、父に言われたことがあった。
   「これから先、もしかしたら、おまえたちは差別を受けることがあるか
  もしれない。福島は被曝という厳しい現実と向き合わなければならないか
  らだ。心ないことを言う人がいても我慢をしていこう。そういうときこ
  そ、人の本当の温かさが分かる。人とのつながりがどんなに大切か分かる
  はずだから。周りをしっかり見ていきなさい。」
   その時は、父の言葉の意味がよく理解できなかった。いつになく真剣
  で、悲しそうな父の顔が印象に残っただけだった。
   自分は今、埼玉県本庄市に暮らし、学校にも通っている。なつかしい故
  郷にはまだ帰ることはできないが、新しい友達もでき、幸せだと思う。
   初めて学校に行く日は、とても緊張していた。自分が福島から来たこと
  で、被曝者と言われたりしないか、無視されたりしないか、汚いものを見
  る目で見られたりしないか、不安でしょうがなかった。
   しかし、友達の反応は違っていた。自己紹介で、福島から避難してきた
  ことを聞いた時は、一瞬驚いていたが、次の瞬間からは他の友達となんの
  かわりもなく接してくれた。
   みんなの態度は、ぼくにとって、とてもありがたかった。かわいそうに
  と思われてもかまわないが、ぼくは一人の中学一年生として、生活がした
  かった。校長先生や他の先生方、先輩方にも、時々声をかけていただいた
  が、普段は他の友達と同じように、時には厳しく、時には優しく接してく
  ださる。そんな生活の中で、ぼくは、自分が避難してきたことを忘れてし
  まいそうになる。
   このように、ぼくは、差別という人権侵害を一度もうけることがなかっ
  た。ぼくの人権を尊重し、受け入れてくれた皆さんにとても感謝してい
  る。
   人権を守るというのは、自分の力ではなかなかできないのではないかと
  思う。自分の人権は、誰かに守ってもらっているのだ。それは、家族だっ
  たり友達であったり、地域の人々だったりする。それだけではない。見ず
  知らずの人であっても、傷付け合ったりせず、お互いに人権を守り合うこ
  とが大切なのだと思う。それが人権を尊重すると言うことではないだろう
  か。
   震災は、自分にとって人とは何か、幸せとは何かについて考えたり気づ
  いたりするよい機会になった。一番大切なことは、一人ひとりが、何が差
  別で何が人権侵害なのかを、しっかり考えることだと思う。そして、相手
  が何を望み、どう接してほしいのかを考えてあげることが必要だ。
   ぼくの未来はまだ何も見えてはいない。しかし、ぼくには分かったこと
  がある。それは世界のどこにいても、どんな困難にぶつかったとしても、
  それぞれの人権や自由を守ることができる社会さえあれば、人は幸せに生
  活できるということだ。
   父の言葉には、そんな意味があったのかもしれない。それはまだ分から
  ないが、今自分ができることをして生きていきたいと思う。
   それが、「支えあって生きていく」ということではないだろうか。

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