◆ 『ある日、私は友達をクビになった』
エミリー・バセロン著 早川書房 2014年
スウェーデン、イギリス、アメリカなどの学校のいじ
めへの対応の25年間の思考錯誤を紹介しているルポル
タージュです。
いじめはどういうものなのでしょうか。被害者が回想
して語っています。
「毎日が地獄のようで本当に辛かった。心の傷は今でも
痛むわ」「あの頃のことを話すと今もぞっとする。頼る
ものがない無力感。自分に何か欠陥があるのではないか
という気持ち。今の私なら、自分が悪かったわけではな
いと自信をもって言えるけど、それでもあの惨めさは簡
単によみがえってくる」
1967年、スウェーデンのダン・オルウェーズは、
いくつかの学校に何度も足を運び1000人の6年生と
8年生子どもたちにいろいろな問題をについて質問し、
答えてもらいました。答えの中から、いじめは3つの条
件を満たすものと定義づけました。「言語的あるいは身
体的攻撃であり」、「ある程度の期間繰り返され」、
「両者の間に力の差が存在する」。1人あるいは複数の
子どもが自分たちの強い立場を利用して相手を支配しよ
うとするものです。「いじめの特徴は、相手がどんなに
非力であっても攻撃するということです」
いじめを行なうのは1人のボス(lone alpha)と少
数の手下ということで、昔から英語にあった「ブリ―イ
ング(bullying)」の言葉を当てます。
≪活動報告≫ 16.11.24
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◆ 『いじめとは何か 教室の問題、社会の問題』
森田洋司 著 中央公論新社刊 2010年
いじめは古くからある。それが現代社会の中で改めて
関心を集めたのは、多くの子どもたちがいじめの被害に
遭っているという事実が明らかにされたからである。そ
れだけに、いじめ問題への対応の力点は、子どもたちを
いかに守るか、被害者の精神的な苦痛にどう応えるか、
という点に置かれている。もう一つの焦点は加害の抑止
であるが日本はとりわけ被害者対策に重点が置かれ、
「心の相談体制」の充実に力を入れている。
それは、90年代の日本社会の「心理主義化」傾向と
無縁ではない。「トラウマ」や「癒し」という言葉が流
行し、「臨床心理士」資格の取得できる大学院への進学
競争が激化し、「カウンセラー」が憧れの職業となっ
た。
その背景には、人々の関心が、社会的な地平から私生
活へと移行したことがある。自分に素直な生き方や個人
の幸福、生きがいや自己実現を求める志向性が強まっ
た。社会や集団の共同性は揺らぎ、人々の支え合いや結
びつきは弱まり、人間関係に変化が生じてきた。……
しかし、21世紀を迎え、一連の「心理主義化」の流
れに対して、精神科医の斎藤環は小沢牧子の著書を引用
しつつ、いじめや不登校が発生する背景にある現代社会
の問題やカウンセリングに潜む「心のビジネス化」など
に触れ、「状況のなかで生ずる生きにくさ、息苦しさ
を、個々の心の問題へと封じ込めて良いのか」と疑義を
呈している。いじめの社会問題化が「第三の波」を迎え
る前夜であることであり、これ以降、心の問題としてだ
けでなく、社会の問題として、問題の根を掘り下げよう
とする視点が加わる幕開けの議論でもあった。
≪活動報告≫ 12.11.16
≪活動報告≫ 12.10.18
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◆ ひろげよう 人権
露の新治 「新ちゃんのお笑い人権高座」2席
「自分から」より
僕はこの「自分から本気で」というスタンスを「同和
問題」から学びました。「差別があかん、まちがいや」
というのは誰でも知ってます。けどなかなか本気で自分
から差別をしない、させないという事になりません。
「差別があかん」という事をほんまにはわかっていない
のです。「差別があかん」という声がある事を知ってい
るだけです。「知っている」と「わかる」の間にはかな
り深くて広い溝があります。情報として知ってる事を
「わかる」ためには、核になる経験と実感、それを広げ
てゆく想像力が要ります。これは地震の怖さ、戦争の恐
ろしさ、失恋の辛さ、差別のしんどさ、命の尊さ、すべ
ての事に言えます。ほんまにわかるという事はなかなか
難しいことです。
露の新治 「新ちゃんのお笑い人権高座」4席
「部落差別を教えられ」より
たいていのことはわからして貰ったんですが、唯一
落差別」だけは誰も正してくれませんでした。それで大
人になるまで持ち越してしまったのです。それも初めは
漠然としたイメージでしたが、長ずるに及んで次第にリ
アルなイメージになってきたのです。けど真実は何も知
らず、どこまでいってもイメージだけでした。そのうち
に初めは「誤った情報によるイメージ」でしたが、いつ
の間にかそれが「感情」になってしまっていたんです。
部落を好きか嫌いかといえば嫌いになっていました。だ
から「同和問題」を知ろうとも学ぼうともしなかったの
です。いったん感情になってしまうとこれはなかなか直
りにくいものです。好き嫌いは理屈を越えますから。
……
食べ物なりゃこそ笑い話で済みますが、これが人間に
対してええかげんな情報で勝手に悪くイメージし、事実
を知ろうともせず、食わず嫌いのままにしておく。する
方は気楽やけども、される方はたまったもんやない。無
知とか物の見方の狭さなんて、本人が損をするだけやっ
たらほっといてもいいんですが、偏見を持たれる人が計
り知れん程迷惑するので、やっぱりこの”食わず嫌い”
を改めて貰わな仕方がないのです。その為にはほんまの
事を知るのが一番で、知ればまちがいは正すしかないわ
けです。
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