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「行軍に精神病者はいない」
斉藤茂太著『精神科医三代』 岩波新書
国府台陸軍病院(現在の国立精神・神経センター国府病院 千葉県)が大幅に拡充されて戦争
神経症を含む精神神経疾患の患者の収容が開始されました。
国病と精神科との関連ができたのは昭和12年末のことである。時の陸軍省小泉親彦医務局長
(東条内閣の厚生大臣で終戦時自決)はドイツで観察した第一次大戦の経験から、必ず日本でも
大量の精神症者が発生するであろうと予測し、精神神経科の専門病院にするために国病に白羽の
矢が立ったのであった。陸軍唯一の精神科専門医で、ドイツ留学の経験のある諏訪中佐が北支か
ら呼びかえされて病院長として赴任した。
……
ところが帝国陸軍には『行軍に精神病者はいない』とか『精神病はたるんでいるから起きる』
だとか、はなはだしきは『精神病者はヒキョウ者だ』とかいう単純きわまる思想が横行していて、
衛生部ですらその関心は高いとはいえなかった……
そのうちに戦争神経症の患者が後送されてくる。勝ちいくさの初期であるから症状は軽い外傷
性神経症が多い。『白衣の勇士』が大いにモテた時代である。……
ところで、戦争神経症とは戦争によって限界状態に追いつめられた人間が示す異常反応を言う
が、これが戦争の長期化によってしだいに増えてきた。病院長諏訪大佐の統計によると、外地か
ら還送された戦傷病兵中の精神疾患の比率は、昭和13年の1-2パーセントから年々高くなり、
昭和19年には7-8パーセントにも達したのである。内地部隊の患者もほぼ同じ傾向を示した
のである。これに対してアメリカ軍はどうだったかというと、精神神経障害で入院した兵士は約
百万で、全入院兵士の6パーセントに達したという。百万のうち60パーセントはアメリカ国内、
40パーセントは外地の発病で、うち神経症(ノイローゼ)は63パーセントで最高率を示し、
分裂病などの内因性の精神病はわずか6パーセントに過ぎなかった。
戦争神経症を大きく分けると、直接戦場で発生する原始的ないわゆる1次反応と、一応生命の
危険の消失したあとで症状の固定するいわゆる2次反応に分類できる。1次反応でも最も直截単
純な反応は驚愕反応と呼ばれるものだ。……
惨烈なガダルカナル島の戦いでは戦場を脱落後退した米軍兵士の実に40パーセントは精神疾
患であったのである。
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