いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター(IMC)




















  『本』の中のメンタルヘルス  軍隊・戦争




    イタリア
    『“誰ひとり” ここにいたいなんておもっちゃいないよ』
      パオロ・ジョルダーノの『兵士たちの肉体』(早川書房 2013年邦訳刊)

    イタリアの作家、パオロ・ジョルダーノの『兵士たちの肉体』はフィクションですが、11年9
   月23日のアフガニスタン西部ヘラートでの戦闘などを下敷にしています。

    一昨夜の攻撃の首謀者たちが村の北部に隠れているというものだった。……報復作戦を練る動機
   としてはそれで充分だった。
     ……やがて彼らはある家の壁に身を寄せて並んだ。……
    イエトリは片手を襟元に差し込みネックレスの十字架を唇に寄せた。手が震えている。脚も震え、
   膝までわなないている。まずいな。ドアは一撃で蹴破らなくては。……やつらはとっくに気づいて
   いて、カラシニコフを入口に向け、待ち受けている可能性だってある。最初に姿を見せた者は蜂の
   巣だ。僕は死ぬのか。死ぬ前に何か思い出すべきことがあったはずだぞ。ちょっと前まで覚えてい
   たのに。ママのことか?……
    背後のチェデルナに急かされた。
    だが、ふくらはぎが濡れた砂袋のように重かった。片足を振り上げて、キック。そんな動作はと
   てもできそうにない。ブーツの革が融けて、地面とひとつになってしまったようだ。
   『できない』
   『なんだって?』
   『できない』
   『どうして?』
   『頭が空っぽなんだ』
    チェデルナが一瞬黙った。イエトリは自分の肩に友人の手が置かれるのを感じた。レネーが繰り
   返し、ドアを破れというサインを送っている。
   『深呼吸しろ、ロベルト』 チェデルナが言う。『俺の言うことがわかるか?』
    僕は死ぬわけにはいかない。ママが生きているうちは死ねない。ママは散々苦しんだ。
     ……
   チェデルナとイエトリは強い日差しを浴びながらベンチでトレーニングをしていた。
    ……
    イエトリは疲労に顔を歪めた。どうも気分がのらない。あの村に敵を探しにいってからというも
   の、ずっと妙な具合だった。夜になれば悪夢を見る。昼もその余韻で不安が抜けない。『よくわか
   らないんだ。もしかすると、僕はもうここにいたくないのかもしれない』
   『それだけの話なら、いいことを教えてやろう。“誰ひとり”ここにいたいなんておもっちゃいな
   いよ』
    ……
    目が覚めると、隊列は停止していた。……工兵たちがIEDを発見し、除去作業をしているとこ
   ろなのだ。それ自体は格別驚くべき知らせでもなかったが……ただひとつ不吉な事実があった。爆
   弾が、誰が見てもそれとわかる形で地面から露出していたらしいのだ。穴はまだ掘って間もなく、
   土も完全にはかぶせていなかったという。この事実は多くのことを意味しているが、敵が暗に伝え
   ようとしたはずのメッセージをエジェットはまず3つ思いついた。1つめ。おまえたちがどこから
   来てどこに行こうとしているのかこちらは知っている。2つめ。これは予告だ。おまえたちには後
   戻りするチャンスをやる。その代わり、トラック運転手たちの件はこちらにまかせてもらおう。3
   つめ。ショータイムの始まりだ。
    だいぶ後になって任務を振り返った時、エジェットは、この最初のIED発見こそ、ひとつの決
   定的瞬間だったと信じるようになる。兵士たちはまさにこの時、作戦はお気楽なハイキングだとい
   う幻想が霧散するのを目の当たりにし、自分たちが非常に厄介な状況にあるという事実を自覚した
   のだ。
    もちろん現場にいる限り、彼らはそうした思いをそれぞれの胸に秘めて漏らさなかった。

    ここでは4人の死者を出しました。

   『ドク?』 レネーが口を開いた。
   『どうした?』
   『今度のことで、我々は勲章を受けることになりますかね?』
   『わからない。でも、ありうるな。欲しければ、君の勲章を進言してもいいよ。立派に活躍したか
   らね』
    エジェットはレネーに精神安定剤を勧めたが、彼は受け取らなかった。エジェットは、レネーほ
   ど自信がなかったので、いつも二倍の分量のカプセルをKレーションのグラッパで飲んでおいた。
   おかげで、厳しい現実もそのころは淡くぼんやりとした色合いを取り戻 していた。
   『誰かがこの胸にピンを留めようものなら、そいつの目玉をくりぬいてやりますよ、ドク』
   『なら、もらわないほうがいいな』
   『まったくです』
     ……
   生き残ったチェデルナは少佐の心理学者からカウンセリングを受けます。

   『……そこで君には何ひとつ包み隠さず、自由に話してもらいたいのです』フィニッツィオは前置
   きを終え、待ちの姿勢に入ろうとしたが、チェルナンデはすでに反撃の構えを整えていた。
   『失礼ですが、少佐、自分には何も話したいことがありません』
    ……
   『少佐、あなたはここが怖くて、ちびっているんだ。本当はこの手の危ない場所からうんと離れた
   安全なオフィスでのんびりしたいんでしょう。それがこんなところまで飛ばされちゃって。お気の
   毒です』
    ……
   『そうか。きっと今の君は、ひとと会話をするのがひどく苦痛なんだろう。怒り以外の感情を表現
   するのが難しい時期なんだ。何もかもがまだ生々しくて、我々は痛みに口を閉ざしてしまう。
    記憶の蓋を開けてしまえば、耐えられないほどの苦しみがあふれ出すのではないかと心配なんだ
   ろう。でも僕は、そんな君を支えるためにいるんだよ』
    ……
    チェデルナは思わず立ち上がり、上官にのしかかるような格好で迫った。『思ったままのことを
   申し上げて本当によろしいんですか、少佐?』
   『是非、聞かせてほしいね』
   『では、申し上げます。あんたは気色悪いくそったれだ。我々は痛みに口を閉ざす、だって?

    “我々”って誰だよ? あんたはあそこにいなかった。どこか遠くで、くだらねえ心理学のマニ
   ュアルでも読んでたんだろう? なあ、海軍の少佐殿、あんたみたいな連中はよくいるぜ。大学出
   の仕官はみんなそうさ。あんたら、なんでも知っているってツラしてやがるが、その実なんもわか
   っちゃいねえ。無知もいいとこだ! 他人の頭に入り込んで、あれこれ漁るのが好きで好きでたま
   らないんじゃありませんか? 俺の打ち明け話が聞きたくてうずうずしてやがるんだ。そうでしょ
   うが? ……以上。面談終わり』


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