いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター(IMC)




















  『本』の中のメンタルヘルス  軍隊・戦争




    アメリカ
    第二次大戦中、精神的虚脱のために50万4000の兵員を失った
       デーヴ・クロスマン著『戦争における「人殺し」の心理学』

    精神的戦闘犠牲者の本質 ――戦争の心理的代価――
    リチャード・ゲイブリエルはこう述べている。「今世紀に入ってからアメリカ兵が戦ってきた戦
   争では、精神的戦闘犠牲者になる確率、つまり軍隊生活のストレスが原因で一定期間心身の衰弱を
   経験する確立は、敵の銃火によって殺される確立よりつねに高かった」。
    第二次大戦中、精神的な理由で4F(軍務不適格)と分類された男性は80万人に昇る。こうし
   てあらかじめ精神的・情緒的に戦闘に不適な者を排除しようとしたにもかかわらず、アメリカ軍隊
   は精神的虚脱のためにさらに50万4000の兵員を失っている。
    なんと50個師団が作れるほどの数だ。第二次大戦中のアメリカ軍では、精神的戦闘犠牲者とし
   て除隊させられる者の数が補充される新兵の数より多かった時期もあるほどなのである。
    短期間で終わった73年の第四次中東戦争では、イスラエルの戦闘犠牲者のほぼ3分の1は精神
   的な理由によるものであり、対するエジプト軍でも事情は同じだったようである。82年のレバノ
   ン侵攻の際には、イスラエルの精神的戦闘犠牲者は死者の2倍にも達している。
    スウォンクとマーシャンによる第二次対戦研究はあちこちで引用されているが、それによれば、
   戦闘が6日間ぶっ通して続くと全生残兵の98パーセントがなんらかの精神的被害を受けている。
   また、継続的な戦闘に耐えられる2パーセントの兵士に共通する特性として、〈攻撃的精神病質人
   格〉の素因をもつという点があげられるという。
    第一次大戦のイギリス軍は、兵士が確実に精神的戦闘犠牲者になるまでには数百日かかると考え
   ていた。しかし、これほど兵士がもったのは、約12日間戦ったから4日間の休暇を与えて戦闘か
   ら外すという交代制をとっていたからである。これに対して第二次大戦のアメリカ軍は、最高で8
   0日間連続して戦場にとどめるという方針をとっていた。
    これは興味深いことだが、何ヵ月も連続して戦闘のストレスにさらされるというのは、今世紀の
   戦場でしか見られない現象だ。前世紀までは、何年もつづく攻城戦のときでさえ、戦闘からはずれ
   る休暇期間は非常に長かった。おもに火砲や戦術がまだ未熟だったためにひとりの人間が数時間以
   上もつづけて実際の危険にさらされることはめったになかったのだ。戦時には精神的戦闘犠牲者は
   必ず出るものだが、物理的・兵站的な許容量が増大して、人間の精神的許容量を完全に超えるよう
   な長期の戦闘が可能になったのは今世紀に入ってからなのである。

     ベトナムでの殺人 【アメリカは兵士たちになにをしたのか】
    ベトナムで何が起きたのか。40万から150万ともいわれるベトナム帰還兵が、悲劇的な戦争
   のすえにPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんでいるのはなぜなのか。いったい、アメリ
   カは兵士になにをしてしまったのか。
    ……
    それにしても、殺人のトラウマの一部はまぬがれなかった。『胸のうちでは、ずっとそいつを殺
   してしまったように感じていたからね』。ほとんどのベトナム帰還兵は、ベトナムでかならずしも
   対人的殺人の経験をしているわけではない。だが、訓練で非人格化を経験しているし、大多数は実
   際に発砲したか、あるいは胸のうちではいつも自分が発砲できるという事実(「頭の中ではすでに
   殺していた」)によって逃げ道がふさがれてしまい、戦争から持ち帰った自責という重責から逃れ
   られなくなったのだ。殺してはいなかったが、考えられないことを見せられた。問題なのは、虚脱
   感、条件づけ、否認防衛機制というこのプログラムを経験した者は、その後に戦争に参加した場合、
   いちども人を殺さなくても、殺人の罪悪感を共有する結果になりかねないということである。
    ……
    現代の軍にも同様の浄めの装置がある。第二次大戦の際には、帰国する兵士は仲間といっしょに
   何日も兵員輸送船で過ごすことが多かった。戦士たちは仲間どうしで感情を追体験し、失った仲間
   を悼み、自分の恐怖について話し合い、なによりもまず、仲間の兵士から支えを得ることができた。
   それが、自分の正気を確かめあう共鳴板になったのである。故国に帰り着けば、市民の感謝のしる
   しであるパレードなどの催しで歓迎された。共同体では尊敬され、両親や妻は胸を張って彼の体験
   を子どもたちや親類縁者に語って聞かせる。こういうことが、昔の儀式と同様の浄めの役割を果た
   していた。
    このような儀式にあずかれなかった兵士は、情緒的に障害を受けやすい。罪悪感を一掃できない、
   つまりおまえのしたことは正しいと安心させてもらえないと、感情の内向が起きる。ベトナム戦争
   から戻った兵士たちは、この種の怠慢の犠牲者だった。輸送船での長旅のあいだに仲間どうし語り
   合うこともできなかった。勤務期間を終えた兵士たちは、飛行機でたちまち『世間に復帰』させら
   れた。敵と最後に戦ってからわずか数日、ときにはたった数時間後である。
    ……
    ベトナム以後、さまざまな帰還軍がこの重大な訓練を取り入れている。フォークランドから戻る
   とき、イギリス軍は兵士を空輸することもできたはずだが、海軍の船で南大西洋を横断して帰国さ
   せることにした。長く、やるせない、しかし治療効果のある航海を選んだのである。
    同様に、国際的に非難を浴びた1982年のレバノン侵攻からの撤退の際、イスラエル軍もこの
   冷却期間の必要性に配慮している。ベトナム戦争の輸送決定に際して、この戦争その道義的問題に
   ついて論じるとき、アメリカでは〈暗黙の箝口令〉と一部呼ばれる現象が起きていた。
    イスラエルはこのことに気づいていた。この問題を正しく認識し、また心理的なガス抜きの必要
   性を認識していたイスラエルは、かれらの〈ベトナム〉に参加した者の精神の健康のために、おそ
   らくこれ以上はないと思われる健全な手段をとった。シャリットによると、撤退するイスラエル兵
   士たちは部隊ごとに会合に集められ、何ヶ月ぶりかで心からくつろぐ機会が与えられた。
    そして「軍の行動や計画の失敗から、仲間たちの無意味な死や、完全に失敗したという挫折感ま
   で、あらゆる問題について自分の感情、疑問、疑惑、批判を吐き出す」という長いプロセスをくぐ
   り抜けたのである。
    また、グレナダ、パナマ、イラクに配置されたアメリカ軍は、完全に部隊単位で戦場を後にした。
   戦闘地帯を離れたあとも部隊を崩さなかったおかげで、本国の根拠地における詳細な(そして心理
   学的に重要な)作戦後のブリーフィングや反省会が可能になったのである。


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