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原爆の治療を特別休暇で
家族や友人を失い、家や職場を焼かれ、みずからも傷ついた被爆者のいのち、くらし、こころの
苦闘がはじまりました。恐怖の記憶は消すことができず、精神的に大きな傷を負いました。心的外
傷後ストレス障害(PTSD)です。
朝鮮戦争、それにともなう軍事産業の再開は恐怖をよみがえらせました。苦しみから逃れるため
何度も死んでしまおうと思ったといいます。
1954年3月1日、ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で第五福竜丸が被爆した。これをきっ
かけに原水爆禁止運動が開始されます。
署名運動は瞬く間に全世界に広がりました。平和運動が戦争の危険性を押しやるのをみて、被爆
者たちがおもわず吐いた言葉が「生きていてよかった」でした。PTSDはすこし消えました。
被爆者に医学的には解明されない後遺症が残りました。疲れやすい、精神的作業が苦痛、忘れっ
ぽい、めまい、精神不安定、頭痛など外見からはわからない症状で「ぶらぶら病」とよばれました。
これを周辺のものは怠けていると文句を言います。
職場の労働者は「ぶらぶらさせているのは原爆のせいだ」と仲間のために声を上げました。なか
でも国鉄労働組合は取組みははやく、当局と交渉し、被爆者の傷病やけがを業務上の公傷とおなじ
扱いにさせ、原爆医療法による治療に必要な時間を特別休暇とさせました。
そしてあやまちを繰り返さない、ふたたび弾丸、兵士を運ぶ任務につかないために平和運動に参
加していきます。
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