いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター(IMC)




















  『本』の中のメンタルヘルス 日本




    コンピューターが「思考」を変えた
     平井富雄著『精神衛生管理 企業のなかの神経症』(中央公論社 1972年刊)

    1960年代後半の技術革新は、何といってもコンピューターの導入であろう。ここでは熟練労
   働者のかわりに、おもに記憶と数量統計に費やされる頭脳労働が機械にとってかわられたといって
   よい。……ソフト・ウェアを機械にお覚えこませれば、まちがいなしに、ねらった情報が即座に手
   にはいる便利さを、コンピューターは提供してくれたからである。こうして、事務能率は飛躍的に
   増大し、仕事に必要な情報量は急速に増加した。ソフト・ウェアのアイディアをうまく考えれば、
   未来予測も確率論的に可能とさえなる。企業がこれによって受けた利益はおそらく前例のないもの
   であったろう。技術革新のきわみであるとともに、それは現代における技術の「神の座」を獲得し
   たのである。
    ……
    コンピューターを使いこなす者、すなわちソフト・ウェアの創案者が、「神の栄光」に輝く者と
   なる。そして、コンピューターに適合したプログラムを、目的に応じて組む頭脳労働が、この「神
   の栄光」を求める心を原動力として発展しつつある。しかしこのことは、2つの重要な意味をもつ
   ことを忘れてはならない。1つは、機械に応じてものを考えるという思考形式、もう1つは、仕事
   の目的に応じて考えるという直接思考、この2つの「思考」がしだいに支配的となる、ということ
   である。「技術的思考」あるいは「思考技術」が、すでに相当広く、かつ深く浸透しつつある現状
   を指摘しておいてよいであろう。
    コンピューターを使うのは人間である。幸いにこのことはまだ否定されていない。しかし、コン
   ピューターの原理である自動制御理論は新しい学問分野を切り拓き、技術的思考の限界を突破する
   試みが行われている。要するに人間と機械とを1つの「系」とするなかで、相互の関係がどのよう
   に現れるかという学問分野である。これが「人間工学」と呼ばれるものである。

    ここで、1960年だいから1970年の初頭にかけて、企業内の「人材」がどのように変わっ
   てきたかを確かめておかなくてはならない。
    たとえば、「モーレツ社員」という言葉の流行した時期がある。昭和40年前後のことである。
   その前には、「マイホーム主義」ということが、「仕事より家庭生活を!」というスローガンを立
   てて、やはり大流行したが、これと対極をなす「モーレツ社員」なる言葉が、前社と踵を接して現
   れてきたのは、たんに世相の表面だけの皮相な現象ではなく、企業の姿勢変化を知った庶民の知恵
   というべきであろう。「能力開発」、「実力主義」、「学歴無用論」、「創造性開発」などのキャ
   ッチ・フレーズがひろまってきたのも、この時期からである。
    企業内の人々が、こういう言葉やキャッチ・フレーズですべて動いたとは思えない。元来、人間
   はそう器用に変身し得る動物ではないから、彼らの仕事に対する態度に、急激な変化が起こったと
   は思えない。しかし、そういう雰囲気が否応なく企業体内にきざしはじめたのは、「人材」のしる
   ところであった。というより率先して「人材」となろうとする限り、それはすでに企業間競争を肯
   定し、それに従って自己の仕事へのかかわり合いを急激に変えなくてはならないものとなっていた。
   この成り行きが徐々に浸透していくのに、これらのキャッチ・フレーズが、ある目標として大きな
   役割を果たしたことになる。そして、企業内の競争が激しくなっていくのだが、その浸透は、われ
   われの「精神衛生管理チーム」にも、しだいに感じられるようになってきた。復職の時点で、「職
   場の戦力になるかどうか」が判定基準として大きな役割をもってきたからである。

    1960年代後半は、高度成長、経済成長が、国の施作策として推進された時間であることはい
   うまでもない。したがって、企業内の構成員が、激烈な競争場裡に加わっていったのは決して偶然
   ではない。とにかく、「人間工学」が機械―人間関係のうちで、人間の働きうる余地を示し、企業
   はこれを「人材」としていかに有効に使うか、という発想が生じてきたのも必然というべきであろ
   う。「能力開発」、「実力主義」あるいは「学歴無用論」などのキャッチ・フレーズは、たんなる
   看板だけではなく、「人間工学」の研究成果にもとづいて、創造力、実行力、自由と責任など、人
   間性の解放を意味するものとして、一般の歓迎を受けて登場した。1960年前半のオートメ化が
   職人芸を奪い、人間性を圧殺するもの、とおそれられたのとは反対に、1960年代後半には、コ
   ンピューターを扱いうる主体として、そしてまた人間性を開花させる可能性として、甘い期待が、
   あたかもオートメ化の反作用であるかのごとく、人々を再び仕事への熱意に引きもどしたのであっ
   た。「コンピュートピア」は、経済成長が人間の繁栄と降伏につながる「黙示録」としての意味を
   もつ言葉となった。


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