いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター(IMC)




















 『本』 の中のメンタルヘルス 日本




    真の問題はその人を抑うつに追いやったものが何であるか
      野田正彰著『生きがいのシェアリング 産業構造転換期の勤労意欲』
      (中公新書 1988年刊)

    国鉄の解体を前にして、鉄道に生きてきた多くの男たちが死んでいる。産業構造の転換に直面し、
   異なった社会に出ていくのが怖いのであろうか。疲れ、孤立し、悲惨な死を選んでいる。私は彼ら
   の死を分析しながら「これ以上、死ぬな」、「これ以上、殺すな」と何度となくうめいた。
    ……
    1980年代の前半の中高年の自殺を代表するのは消費者金融であったが、80年代の中期の中
   高年の自殺を象徴するのは国鉄マンの自殺だろうか。そんなふうに思ってはいたものの……
    私は国労本部の国会対策室にある自殺関係のファイル、新聞の切り抜き、各地の組合のビラ、国
   労本部の行った全国の自殺調査、国鉄マンの自殺に関する国会の議事録などを全て読ませてもらっ
   た。そして「これではダメだ」と思った。というのは、国労側は「死の直前、管理者に呼ばれ、退
   職勧奨、国労脱退などを責め立てられて死んだ」と型どおりに決めつけて、当局(経営者・管理者)
   を攻撃している。しかし一人前の男が直前にいじめられたくらいで、死にはしない。
    第三者は、いじめられて死ぬような男たちに列車を動かしてもらっては困るぐらいの、冷ややか
   な反応しか示さないであろう。私たちの方がもっと厳しく生きているんだ、と思っているだろう。
   人の死というのは、その要因を多角的に分析し、個々の要因をダイナミックに組み合わせて、人々
   とのつながりをひとつひとつ失い、絶望し、最後には1人になってしまった原因を、主要なもの、
   副次的なもの、背景となるもの、と順々に取り出していかなければならない。
    1人の人間の死は、あくまで個別的なものである。しかし孤立させ、自分の命を絶つ決意をさせ
   たのは社会の問題である。自殺者は自殺という行為のみを選び、自分の絶望の意味を周囲の人や社
   会に伝えることはできないものである。死者はひとり向う岸に行ったのであるが、言葉をもたなか
   った死者のメッセージを読みとるのは私たちの義務である。
    死んだ者への本当の追悼は、死者の沈黙の言葉を読みとって、それを社会に伝えることにある。
    一方、国労に当局と呼ばれる国鉄本社は、労働組合の非難にいつも通りの反論をしているように
   見える。
    1つには、自殺はプライバシーにふれる、という。だが、死者のメッセージをプライバシーで隠
   そうとする姿勢は、死者を忘れるための手段にしかならない。そして、自殺者は続くのである。次
   に、国鉄職員の自殺は国民一般の自殺に比べて決して多くない、と反論する。しかしこれではあま
   りに素人だましの反論でしかない。
    ……もともと国鉄職員の自殺率は低かった。……
    明らかに自殺率は増加している。とりわけ、この2年間で急増していることは、いかに国鉄本社
   といえども否定はできない。
    ところで国民一般の自殺も1970年以降、徐々に上昇に転じている。自殺率は1985年で1
   9.5、実数総数で2万3599人になっている。一般に自殺とは非常に特殊なことと思われてい
   るが、今や日本国民の死因の第7位、働き盛りの成人にとっては癌、心臓病、脳卒中に次ぐものと
   なっている。例えば、国家公務員の死因のうち、自殺が1982年より第4位に浮上している。

    なお、ここで忘れてならないことは、退職者の自殺である。国鉄厚生課の調べた自殺者はあくま
   で現職の職員についての数であり、退職者の自殺は明らかにされていない。
     ……
    この例を見るまでもなく、退職直後は在職中以上に精神的負荷、葛藤、空虚感が高まるといえる。
   国鉄職員厚生課が共済返金の打ち切り者数をもとに、退職後、半年、一年内の自殺者数を出せば、
   その数は相当なものになると思われる。こうしてみるかぎり、国鉄当局がいう「国鉄職員の自殺は
   決して多くない」という弁明は空しい。

    ところで、国鉄は自殺の原因別内訳を発表している。これを中心となって担当したのは職員局の
   M調査役であり、彼は「自殺そのものの調査ではなく、自殺の要因が職場環境にあるかないかを判
   定する限定的な調査」を行ったという。私は、自殺未遂者の治療にあたったこともない非専門家が、
   自殺を総合的に分析する努力もせずに、「職場に原因があるかどうか判断できる」と断言するのは、
   いかにも官(国鉄)らしいと思った。これは病理解剖を死者のプライバシーにふれるといって、心
   臓の切開だけに限定するようなものである。身体全体を見なくては、病理は見えてこない。否。こ
   のたとえよりまだ悪いといえよう。
    そんな彼らの分類によると、表4の左にあるごとく、自殺の原因(1986年)はほとんど精神
   疾患(38%)か、その他(45%)ということになる。
     (表4の左は、「推定される原因(国鉄職員局厚生課)」として、「精神神経疾患等(ノイロ
     ーゼ、うつ病等)」「家庭不和」「病気苦」「金銭苦」「その他(失恋、交通事故、看護疲れ
     等)」となっている。奇妙なのは、警察庁発表にある勤務問題の欄がない。)
     ……
    だが一番大きな特徴は、精神神経疾患とされる人の比率の高いこと、および85年に比べても8
   6年のそれが急増していることである。ここでいう精神神経疾患のほとんどが反応性のうつ状態や
   不安神経症をさしており、内因性のうつ病は少ないと考えられる。国鉄厚生課は診断書でうつ状態、
   うつ病などが出されておれば、ただちに原因を精神神経疾患に入れているが、これでは職員局とし
   ても自殺の調査というには、あまりにも粗雑である。死にたいと思っている人が精神科を受診すれ
   ば、まずはうつ状態と診断されてしまう。
     ……
    ただひとつ、この表から受ける印象としては、こんなにノイローゼやうつ病に内訳される人が多
   いのは、何らかの環境的負荷が加わり、自殺する人の多くが抑うつ状態に追い込まれているのでは
   ないかということであろう。真の問題はその人を抑うつに追いやったものが何であり、抑うつ気分
   が、自殺念慮や自殺そのものへと、どのように結びついていったかである。


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