いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター(IMC)




















  『本』の中のメンタルヘルス 日本




    電話交換手が体調不良に

    歴史科学協議会編集『歴史評論』2011年9月号は「特集/近代日本の労働者文化」です。
    その中の「統制と抵抗のはざまで」は電信技手の技術に関する論文です。技手は花形エリート
   でした。技術革新は昔も今も日進月歩です。
    その一方で通話交換業務に従事する交換手がいました。
    この論文ではないところからの実態報告です。

    電話の母国アメリカは、接客業である電話交換手に当初少年や青年を採用していました。
    しかし彼らの粗暴な振る舞いは、上流身分に属する顧客たちを満足させる、「躾が行きとどき、
   洗練された作法を身につけた者」 ではありませんでした。
    日本でも当初は少年・青年の職務でしたが1880年代に入ると、中流家庭の若い独身女性へ
   と切り替えられていきます。理由はアメリカと同じです。
    1890年代末には、夜間の交換手として「書生」が応募してきます。しかしエリート候補生
   たる強烈な自負を持つ彼らは「接客」には不適格で、傲慢で粗暴で無礼な応対ぶりは、上流身分
   層を形成する成功者である顧客の逆鱗に触れたといいます。その頃は対応する時の言葉は「もし
   もし」ではなくまだ「おいおい」でした。男の声での「おいおい」はそれだけでも粗暴に聞こえ
   たようです。

    1901年5月1日をもって「男子交換手は兎に角不親切にして、人気悪しき故、これを廃し
   てもっぱら女子を採用せん」となりました。
    そこにはもう一つの理由がありました。「女子のみを採用する時は、それだけ経費を削減でき
   る」ことです。当初、採用された女性は中流以上の家庭出身者であったために自活の義務がなく、
   安い賃金で雇用できたといいます。さらに躾の面でも申し分なかったといいます。
    しかし戦争ごとに電話回線が増え、電話加入者が増え続けると、そのような出身者にこだわっ
   てはいられなくなります。一方、低い賃金のため辞めていく者も出てきます。
    当時の交換業務は、正面に備え付けられた盤面にたくさんの穴があいていて、その穴に迅速か
   つ正確にプラグを挿入すると通話が可能になります。その動作を休みなく反復していきます。そ
   の盤面も増加した加入者を収容するため次第に上の方に延び、交換手にとっては立ち上がったり、
   背伸びをしなければならなくなったりしてきます。
    多忙になると職場秩序をただして交換業務の能率化を図ることが推し進められました。
    交換手の肉体的、精神的消耗はかなりのものがありました。
    さらに「接客業」としての上流身分層の顧客への対応があります。
    新聞はたびたびそのことを報じました。
   「交換手たちは仕事の繁忙と夜勤などがたたって、健康を害し、神経衰弱さえわずらい、顔色悪
   く、銀杏返しに花かんざしを挿してはいるが、その髪には光沢がない」「設備の要員も重要急な
   るに追いつけず、お話し中の連続で、利用者は牙をむきだし、交換手は過労となり、当局者は施
   す策なし」
    今で言うところの、うつ病罹患者が続発しました。
    労働者が 「神経衰弱」 に陥っているという報告は他の資料にも見られますが、交換手につい
   て新聞がたびたび報じたのは、公務ということのほかに、「中流以上の家庭出身者」を多く採用
   していたという理由によるものではないでしょうか。

    おそらく日本で最初に社会と使用者がメンタルヘルスケアを意識した労働者群です。


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