不況切抜けのため産業心理学研究が開始
大河内一男著『暗い谷間の労働運動』(岩波新書)
1910年代にはいるとアメリカの産業心理学が導入、研究が開始され、発展していきます。テ
イラーの『科学的管理の原理』が1912年に、ミュンスターベルクの『心理学と産業能率』が1
915年に翻訳・出版されたことが弾みをつけます。
第一次大戦後の不況、とりわけ大正12年の関東大震災後、金融機関の整備統制がすすみ、また
三井・三菱・住友・安田の4大財閥を中心とする企業の集中と系列化が進行していた。そして大企
業にかんするかぎり、不況切り抜け策として新しい生産設備と労務管理方式が「合理化」の名のも
とに開始されたが、これは日本だけの現象ではなく、戦勝国のアメリカでも敗戦国のドイツでも、
「合理化」は不況切抜けのための合言葉であり、「流れ作業」が時の話題であった。製品の規格統
一、大量生産、コスト引下げ、競争能力の強化がそのねらいであった。もはや従来の職人的な熟練
やクラフト的な能力は必ずしも必要でなくなった。……そこでこの頃から、新しい労働者の給源と
して、新規学校卒業者が直接雇い入れられはじめた。
三菱造船所、新潟鉄工所、鐘が淵紡績、福助足袋、ライオン歯磨などの民間事業所にも急速に浸
透していきます。
現業官庁で能率増進運動が高まり、能率心理学研究が進展をみせた。逓信省電信局、電話局、保
険局などの現業官庁で心理学者による労働時間、疲労の調査が開始され、作業の改善が試みられま
す。
「1923年に、鉄道省が外傷神経症の対策として、精神衛生に関する組織を作った」(柴田洋子
『職場と心の研究』)。
しかしこの時代においては、劣悪な労働条件下で低い生産性しか上げられなかったものを変革し、
作業者としての個人の特質を明らかにする面が強く、労働環境や作業状況に関する要因分析という
面はまだ弱いものでした。
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